2009年12月31日木曜日

自(1857)



今年ももうすぐ終わろうとしています。

今年はみなさんにとってどんな年だったでしょうか?

今年の漢字は「新」だそうですが、新政権や新型ウィルスなど、確かに「新」に関係することが多かったような気がします。

私に関しては、寮に「新」人が入ってきたり、「新」しい家族が増えたりしました(「りょうた」と言います)が、何か特別に「新」しいことにチャレンジしたということはなく、今まで通りをやり通したという感じがしています。

何か一文字で表すとすれば、「自」ですね。

「自」とは、「自ら」という意味です。

昨年は多くの遠征をスタッフに任せたり、トップジュニア委員会の遠征もメンバーに帯同してもらったりしましたが、今年はすべての遠征を自分で行いました。

身体的にはしんどい思いをしましたが、いろいろな出会いや発見、再認識できたこともあり、意義深い年になりました。

そうやって自分ですべてのことをやってきて思うことは、ちゃんと「自分のチームを作る」ことができてきているという実感です。

民間クラブでコーチをしていて、自分のチームをしっかりと作っているという認識を持つことは難しいものです。

単なるレッスンに終始してしまうことも多いと思います。

進学や受験、その他いろいろな理由でチームを離れるケースも多くあります。

できるだけチームに愛着を持ってもらうことができるように努力をしますが、なかなか難しいですね。

そんな時はとても寂しい思いをしますが、仕方がないと割り切っています。

でも、今年は、大学に進学した選手がチームサポートに来てくれたり、練習に来てくれたり、一度チームを離れた選手が戻ってきてくれたりと、嬉しいことがたくさんありました。

そして、何よりも、来年卒業する寮生が、今までと変わらず練習に参加してくれることを素晴らしいと思います。

本来であれば引退して高校生活を楽しんでいるところです。

でも、今まで以上に高い意識を持って練習に臨んでいる姿を見る時、チームやクラブに対する愛情とテニス賭ける情熱を感じてうれしくなるのです。

こうした意識を持った選手が集まってチームが作られていく時、真のアカデミーに成長していきます。

今年一年、自ら積極的に動いて、ほとんどすべてのことを自分でやり通し、その基礎ができたのではないかと思っています。

まだまだ成長していかなくてはなりません。

石川遼プロの今年の漢字である「攻」を忘れないで、より良いチームになるように努力していこうと思います。

今年も本当にお世話になりました。

テニスのため、子どもたちの未来のために来年も頑張りますので、よろしくお願いします。

ありがとうございました。


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2009年12月30日水曜日

マイナスの感情を転化する(1856)



このことは、「マイナスの感情がよくないということではなく、それをどう活かしていけば良いのかという考え方をもつことが重要である」ことを教えてくれる。

ここでは、「不安」について考えてみよう。

試合前に不安になったことがないという人はいないだろう(ターミネーターは別だ!)。

なんとも不思議なものである。

好きで始めたテニスで、自分の力がもっとも発揮される最高の晴れの舞台である試合を前に不安になる。

なぜか考えてみた人も多いだろう。

五木寛之(「不安の力」集英社)は、
「不安とは、電車を動かすモーターに流れる電力のようなものだと、いつからかそう思うようになってきたのです。不安は生命の母だと感じる。それは、いいとか、わるいとか、取りのぞきたいというようなものではない。
不安は、いつもそこにあるのです。人は不安とともに生まれ、不安を友として生きていく。不安を追いだすことはできない。不安は決してなくならない。しかし、不安を敵とみなすか、それをあるがままに友として受け入れるかには、大きなちがいがあるはずです。
自分の顔に眉があり、鼻があり、口があるように、人には不安というものがある。不安を排除しようと思えば思うほど、不安は大きくなってくるはずです。
不安のない人生などというものはありません。人は一生、不安とともに生きていくのです。そのことに納得がいくようになってきてから、ぼくはずいぶん生きかたが変わったような気がしています。」
と言っている。

また、生月誠(「不安の心理学」講談社現代新書)は、
「不安と人間の本質との関係については、二つの意見がある。
①不安は、本当の自分に直面する場合に起こる反応である。不安を感じるのは、本当の自分がわかりかけている証拠である。不安こそ、人間の本質に迫る王道である。
②不安は技能や能力を発揮するのを妨げる。人間の本当の豊かさは、不安を解消することによって初めて実現可能となる。
哲学者ハイデガーは、『存在と時間』で、「恐怖は、恐いものに直面して、それを避けようとするときの心境であるが、不安は、自分が慣れ親しんでいる日常的なあり方を不可能にし、自分自身の本来的なあり方に直面させる」と述べている。
また、哲学者メルロ=ポンティは、その著書『知覚の現象学』の中で、「自己を認識するのは、ただ脅かされた場合の限界状況においてだけ、たとえば、死の不安とか、私に対する他者のまなざしの不安とかにおいてのみである」と述べ、いずれも、不安が本当の自分に直面させることを強調している。
一方、不安を訴える人の相談、指導に当たっているカウンセラーは、少なくとも、カウンセリングの場では、②の立場に立つことが多い。」
と述べている。

我々は、「不安」は、嫌なもの、あってはならないもの、自分の力を妨げるものとして、それをいかにして排除すべきかについてのみ考えすぎてはいないだろうか。

「不安が本当の自分に直面させる」という側面を忘れて、ただ取り除こうとすれば、「不安」大きく抵抗し、あなたの中でさらに力を増すかもしれない。

確かに、「不安というのは緩慢に人の心を萎えさせていく働きを持つ」けれども、「不安は人間を支えていく大事な力である」(五木寛之(同))、そんなふうに考えていくべきだと思う。


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2009年12月29日火曜日

マイナスの心理を生かす(1855)



本当に強い人、本当の強さを手に入れた人は、屈強な精神力の持ち主であると思われるかもしれないが、実際はそうではない。

恐れや不安などの感情など一切持たず、自らの目標達成のためにひたすら前進する人(ターミネーターみたいな人かな?)などいやしない。

嶋田出雲は、「大冒険家、大登山家、大監督、大選手、勝負師は、一般に、「貪欲」「欲張り」でより高い所へ昇りたい、また何でも吸収したいと望む。一方、彼らは「小心」「心配症」「臆病」で「完璧主義者」で、それをバネにして頑張っている。というのは、彼らは、勝負の怖さを知っており、責任転嫁は許されない。また、言い訳の通じない結果責任(accountability)の世界であることを自覚している。そのため、人一倍の「不安感」「恐怖心」「不足感」を持ち、また、失敗した時の痛みを忘れない。この場面の時はこうした、あの時はこうであった、いろいろな場面、状況を明確に、しっかり記憶している。つまり、彼らは「恐い場面」を体験しているから失敗を恐れる。この痛みを憶えていると憶えていないでは大きな違いである。そのため、大監督、大選手は不安と期待が交錯する中で、成功あるいは勝利を得るために、人一倍の努力と多くを準備する。また人は恐い場面と遭遇して、頑張る意欲、勇気が湧き、自分が自信、確信が得られるまで徹底する。つまり、これは安全性確保のための集中力を得るためである。つまり、トップ・プレーヤーの多くは、この自覚があってはじめて練習に打ち込める。」と言っている。

自信を持って取り組んでいる心理の裏には、不安や恐怖などのマイナスの感情をうまく活かしているということである。


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2009年12月28日月曜日

ただプライドを持って取り組む(1854)



確かに、悲しみや苦しみから立ち上がってきた人は、立ち上がるたびに自分の「弱さを自覚」しつつ、「強さ」を身につけてくる。

しかし、打ちのめされた時には自信が揺らぎ、誰かにすがりたくなるような気持ちになることも多い。

そんなときは本当にどうしていいのかわからなくて、苦しくて苦しくて仕方ないのだが、残念ながらだれも助けることなどできない。

そのために「コーチという存在」があるのではないかといわれるかもしれない。

しかし、コーチは選手と同じ方向を向き、その方向に向かって一緒に歩くためにいる。

助けを求める気持ちは、コーチと向き合ってしまうことだ。

これでは、一緒には進めない。

自分の力で向きを変えなくては、進めないのである。

私に何かしらの救いを求める声もたまにはある。

私は、そのような気持ちは十分に理解できるし、できれば私の力で何とかしてあげたいとは思うのであるが、それほどの力があるわけではない。

私は、そんな時、こんな話をすることがあった。

「私は、Vフランクルの「夜と霧」という本にとても影響を受けました。ドイツの収容所では、人間の尊厳や希望が根こそぎ奪われていきます。でも、自分に尊厳を持って生き抜いた人がいます。もし、その人たちが収容所での事実に目をそむけ、否定し続けていたなら、自分のプライドや希望が失われていくことに耐えられなかったと思います。そうではない、そうではない、と言い続け、でも事実は変わらないとき、そしてそれを受け入れらないとき、人間は心底絶望するのではないでしょうか。そうなると人間は生きてはいけないのかもしれません。私は、そのような経験をしてきたわけではないのでえらそうなことはいえませんが、チャンピオンになれないという事実は否応なくそこにはあります(もちろんそうなることもあります)。そんなはずはない、そんなはずはない、と言い続けて、それを否定し続けているうちに希望が薄くなっていることは感じるはずです。それが、テニスが何となく楽しくないという感覚につながっていくのではないでしょうか。しかし、その事実を認めてもなお、プライドを持って練習に取り組むことができる人がいるのも事実です。その人たちは、事実を受け入れ、そしてその先にある人間の本当のプライドに気づき、何をもってしても崩されない自己が確立されているのです。そうなったとき、あなたは本当に輝くのではないのですか?何ものにも捉われず、ただテニスに取り組んでいく、そんな姿の中に人間の本当のプライドが見えてくると信じます。なんか難しいことを書いているようですが、強くなるために、ただプライドを持って取り組むことがとても大切だと思います。」

「どうしようもない事実を受け入れてもなお、ただプライドを持って取り組む」

ということがどういうことなのかを文章で伝えるのは難しいが、そういう気持ちになれたとき、人間は本当の「強さ」を手に入れると思う。


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2009年12月27日日曜日

自己確信できる(1853)



多くの敗戦を経験し、テニスを辞めたくなるような思いを振り払ってがんばってきた人は、自己確信できるようになる。

それは、自信がつくということではない。

自分という「弱き存在」を自覚することだ。

嶋田出雲(「スポーツに強くなる法」不味堂)は、「自覚の力」として次のように述べている。

「人間はすべてに不完全であり、欠陥だらけの者で、そして、不純な世界に生きている。決して強い者ではないことをまず自覚する。「人間は考える葦である」とパスカルが言っているように、人間は「弱いもの」「傷つきやすいもの」で、自分を守るために心身を鍛えなければならない。しかし、人間は自分の身の丈を忘れ、身の程を考えずに行動する傾向がある。また、人間は人を傷つけ、人と争い、人の言葉にだまされやすい「愚かなる者」である。だから人間は楽をしたいと愚かな行動を繰り返す。また、人間は失敗して、失恋して、挫折して原点に戻り、一からやり直して育んでいく。だから、人間は成功経験よりも失敗経験から多くのことを学ぶものである。スケートやスキーの上達過程に見られるように、人は転んで転んで、失敗して失敗して、傷ついて傷ついて、悩んで苦しんで成長していくのである。また、人間は頭からふけ、目から目糞、耳から耳糞、鼻から鼻糞、口から痰、身体からあか、下から大と小の便を排泄する汚い者で、風呂に入り清潔、綺麗にする必要がある。そして、人間はパチンコ玉のように弾かれて弾かれて、また、雑草のように踏まれて踏まれて育つ。そのため、人間は強くなりたい、美しくなりたい、楽しみたい、自由になりたい、人より卓越したい、力量を高めたい、目立ちたい、輝きたい、立派になりたいと願い、その実現のために、努力し、苦しみ、悩み、勉強し、練習し、トレーニングして自己を鍛練、修業するのである。これらは人間が生きている証拠であり、人間は「悩むパワー」が必要である。人間が普通に生きていくということは容易なことではない。要するに、「弱さを知ることが強さ」につながる。つまり、人間は「知る」ことによって自由になれるということである。もし知らなければ何もできないのである。人間はこれらと向かい合って生きていかねばならないと自覚する必要がある。」

ということである。


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2009年12月26日土曜日

マルチな能力(1852)



コーチという仕事は、「人の持っている能力を引き出す」ことです。

Instruction
Management
Support

という仕事がおもな仕事になります。

特に育成のコーチは、単に技術を教えれば良いというものではありません。

遠征に行くには、航空券の手配や大会のエントリー、日程の調整など、マネージメントの仕事が大切になります。

子どもたちが進学するときに適切な情報を与え、より良い進学のサポートもしなければなりません。

コーチは、多くの仕事をこなす能力が求められるということです。

自分の技術を極めるためにひたすらその道を進むという職人気質は必要ですが、いろいろなことをマルチにできる必要があります。

私が多くの顔を持つのはそのためです。

野球部のトレーナー、
大学の講師、
通販番組の出演、

などなど。

多くの顔を持ち、マルチな能力を磨いていくと、ネットワークが広がります。

そのためにいろいろな活動しています。

それはすべて「コーチ」としての仕事です。

子どもたちにはテニスを通して豊かな人生を送ってほしい、いつもそう考えています。

そのためには必要なことを教えてあげることができるように自分自身の能力を磨いていかなくてはなりません。

それと、いろいろな仕事をしていると、チャレンジ精神を失わないので、とても良いことだと思います。

子どもたちにチャレンジしろと言っているのですから、これからもいろいろなことにチャレンジしていこうと思います。


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2009年12月25日金曜日

コーチを続けることができる条件(1851)



私はコーチという仕事を自分の仕事にするとは思いもしませんでした。

いくつかの偶然が重なって、今は自分の仕事になっていることが不思議でたまりません。

コーチを始めた時も、それほどの思いを持ってやっていたわけではありません。

そんな中途半端な気持ちで始めたコーチですが、今はライフワークとしてこの仕事に取り組んでいます。

なぜ、コーチという仕事にのめり込んだのかということを考えてみました。

それは多くの「感動体験」があったからです。

何かを続けていくためには、何らかの「感動体験」が必要だと言われます。

私にはそれが多かったですね。

どうしても合宿に参加したいと言って親に直談判をする子。

優勝がかかる試合でもないのに最後まで死力を尽くす子。

泣きながら優勝の報告をしに来る子。

多くの子供たちが感動をくれました。

だから・・・続けています。

これからも・・・ずっと・・・続けていきます。


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2009年12月24日木曜日

足りない何か(1850)



私は、いつも「何か」を探しています。

私に足りない「何か」を・・・です。

言葉、が足りないかもしれない。

熱意、が足りないかもしれない。

知恵、が足りないかもしれない。

指導力が足りない・・・かもしれない。

いつもそんなことを考えています。

子どもたちの力を伸ばしてあげたい、その気持ちは変わりません。

でも、「何か」が足りない。

子どもたちが試合でその力を十分に出せないのを見ると、いつもそう考えます。

足りないものを探す旅、コーチングとはそういうものかもしれません。

まだまだ先の長い旅になりそうです。

めげずに、あきらめずに一歩づつ・・・進まなくてはなりません。

前に・・・


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2009年12月23日水曜日

忍耐力(1849)



「強くなるためにもっとも大切なものは何か?」と問われれば、それは「忍耐力」であると答えます。

スポーツは「がまん」、「がまん」の連続です。

その果てにあるほんの少しの「栄光」のために多くのアスリートは今日も「がまん」しています。

スポーツの世界では、強くなれば楽しいことが多くなるのかというとそうではありません。

むしろ苦しいこと、悲しいことのほうが多くなるのです。

当然、プレッシャーは大きくなります。

それに「耐える力」を持っていなくては、いくら身体的な資質に恵まれようともトップ選手になることは難しいものです


・・・何に耐えるのか。

・・・勝てなくなる不安
「前はあいつに勝っていたのに、最近だんだん勝てなくなってきた」
「このまま勝てなくなったらどうしよう」

・・・練習やトレーニングのつらさ
「練習しても強くなれなかったらどうしよう」
「こんなにつらいトレーニングなら強くなれなくてもいいや」

・・・親やコーチからのプレッシャー
「何で勝てないの」
「今まで何やっていたんだ」
「今までいくらかかっていると思っているんだ」

・・・試合でのストレス
「今のは絶対入っていたのになんでアウトなんだ」
「こんなにうまくいかないなんてどうしたらいいんだ」

などです。すべてはがまん、「忍耐力」が必要です。

高岸知代プロのドキュメンタリー番組の中で私が話したこと・・・。

「僕はいろんなプロ選手をトレーニングしてきてるんですが、この選手は必ずそこそこのレベルまで行くだろうなって思えるのは、努力する才能があるかどうかなんですね。

普通は途中しんどいものですから、自分の中でこのへんでいいだろう、とブレーキをかけてしまうんです。

彼女の場合はトレーニングに対する意識が非常に高くて、努力する才能があるものですから、自分の限界まで追い込めるわけですよ。

そうすると、もうトレーニングが厳しいものですから、泣きながらトレーニングをするんですね。

彼女の一番の凄さ、素晴らしさっていうのは、まさしく自分を追い込む力、それに耐えられる力じゃないかなと思います」

・・・多くの子ども達に「耐える力」があればいいなあ、と思います。


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2009年12月22日火曜日

敗戦から学ぶ(1848)



高いレベルの選手を目指す方はもうすでに計画を実行されているにちがいない。

しかし、いくらしっかりと計画を立ててもすべてがうまくいくとは限らない。

計画が間違っていることもあるだろうし、成長のタイミングが思い通りにいかないこともある。

だから、目標とする試合で負けることも多い。

しかし、真に強くなるものは、この敗戦を次のステップにできるということを忘れないでほしい。

敗戦から学ぶ」ことができれば、次の計画を立てることにも大いに役立つ。

では、敗戦から何を学べばよいのだろうか。

負けることで、自分に足りないことや変えていかなくてはならないことが明確になる。

また、悔しい思いを持ち続けることで苦しい練習に耐えるモチベーションも高まるはずだす。

そう考えれば、「敗戦から学ぶ」ことがいかに大切であり、そこに成長のための大きなきっかけがあることがわかる。

しかし、「敗戦から学ぶ」ためには「2つの条件」がある。

ひとつは、この試合までにはこの課題を克服するとか、対戦相手を想定して戦術を立てながら練習するとか、明確な目標に向けて「ひたむきに努力すること」ができていたかどうか、ということだ。

意識を高く持って試合の臨むことができなくては、敗戦から何かを学び取ることはできない。

もうひとつは、「心の底から悔しいと思う」ことだ。

勝負に賭ける気持ちが強ければ強いほど、負けたときの悔しさは大きいものだ。

気持ちが高まっての敗戦は、冷静に物事を考えるまでに時間がかかるだろうし、場合によってはテニスを辞めてしまうかもしれない。

これはつらいことではあるが、それくらいの悔しい思いを持てなくては強くはなれないということだ。

私は、敗戦によってテニスに対する情熱をなくしてしまった選手やテニスをやめていった選手を何人も見てきた。

そんな選手を見るとき、冷静を装ってはみても私の心は大きく動揺する。

そこまで追い込まなくても良かったのではないか、と自問することもある。

なにも悲しむのは選手だけではない。

「強く思えば、強く悲しむ」、これは表裏一体ではあるが、どこまで求めるのかは、結局自分で決めるしかない。


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2009年12月21日月曜日

計画を実行することで得られるもの(1847)



もちろん、計画どおりに実行しても目標を手に入れることができるとは限らないが、目標を達成できなければ、計画を実行したことは無駄になってしまうのかというとそうではない。

その計画を徹底的にやり通したということで「自信」と「プライド」を高めていくのである。

S.ロバーツ(「グズ病が完全に治る本」三笠書房)は、「プライドとは、自分には能力も価値もやる気もあるのだと、自分に向かって宣言することだ。」と言っている。

計画を実行することで、きっと「自信」と「プライド」を手に入れることができる。

それを手に入れることができれば人生はきっとうまくいく、間違いない!


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2009年12月20日日曜日

生活力(1846)



人間は怠惰な生き物です。

基本的に、面倒くさいことをやるのは嫌いなはずです。

では、そういう面倒くさいことをやれる人間と、結局は放ってしまう人間とは何が違うんでしょうか。

簡単に言ってしまえば、「ものの考え方」が違うということです。

面倒くさくても、何とか時間とか気持ちとかの折り合いをつけて仕事を片付けることができる人間は、「どうせやるんだったら今やっておくか」とか、「これが終わると気持ちいいんだろうな」とか、前向きにものを考えることができます。

そうじゃない人は、言い訳ばかりと考えて時間を浪費するので、後で今やる以上の時間をかけなくては仕事を終えることはできません。

だから結局やらない時も多いものです。

この差は大きいですね。

このような前向きな「ものの考え方」ができている人は、「生活力」も高い人が多いです。

「生活力」が高いとは、結局、今自分がやることは何かを的確に判断して、時間をうまく使って、できるだけ無駄のないように過ごしている人のことです。

この「力」が強いと、試合における状況判断は格段に良くなります。

だから、私は「生活」のことをうるさく言います。

多くの子どもたちは、頭では理解しているはずですが、怠惰な本能に「思考力」や「判断力」を奪われてしまっている場合が多いように思います。

いいですか、強さは「生活」から生まれます。

常に今自分がすべきことは何かを考えて行動してください。

思ったら行動する「習慣」を付けてください。

いつもいつもは難しいかもしれません。実際に、私も完璧にできているわけではありません。

でも、7割を目指してください。

がんばって、がんばって、時々さぼるぐらいがちょうどいいですね。

それができれば「強さ」を手に入れるのも時間の問題です。


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2009年12月19日土曜日

指導力(1845)



優れた「指導力」を持っている方ほど、自分の「指導力」に対していつも「謙虚」な態度でいます。

子ども達が思うような成果が上げられなかったり、思い通りのプレーができない時には自分の「指導力」のなさを嘆きます。

いつも、そういう態度で接しているから徐々に指導の成果があがってきます。

「それ」を忘れないように教えていきたいと思っています。

ところで、「指導力」と一言で言いますが、「指導力」があるということはどういうことだろうかと良く考えます。

成果が上がることで評価されるべきものであるとは思いますが、そこに至るまでにどういう「力」を発揮すればよいのかは大変気になります。

私が考える「指導力」とは、まずは指導する人としての「雰囲気」がある、ということです。

時間にルーズだったり、服装が不潔だったり、言葉使いがあまりにも乱暴だったり、指導する人間としてふさわしくない態度や行動をできるだけ(このできるだけは、一般的に見てできるだけと評価できるものでなければならないと思います)しないように心がけなければならないと思います。

次に大切なのは、「忍耐力」がある、ということです。

人は何度も失敗します。スポーツでは挫折することの方が多いものです。

思い通りに成長しないことも多く、態度や行動が気に入らないことも日常的にあります。

そうなると指導する気力が失われていきます。

それでも、子ども達がそのスポーツを続ける限り、指導することをあきらめない強い「忍耐力」が必要です。

必要であれば何度でも話をします。

同じアドバイスを繰り返します。

これは「忍耐力」の要る仕事です。

でも、子ども達は自分の言ったことを「覚えていない」と考える方が普通です。

忘れてしまって、同じミスを繰り返すのが当たり前です。

そのことを忘れて、「前にも言っただろう」と思うのは指導者の「エゴ」です。

そして、向上する「意欲」を失わないことです。

テニスの指導に関してはたくさん勉強してきました。

理論派の私としては、できるだけわからないことはないように多くの学問分野の情報を集めるように努力しています。

しかし、それでも分からないことはたくさんあります。

自分の経験や理論では理解できないことにもたくさん遭遇します。

それだけスポーツはむつかしいということですね。

というよりも人間を扱うことがむつかしいということです。

だから、いつでも「知ろうとする意志」を持ち続けなければならないと思います。

興味、関心、好奇心が大切であると書きましたが、これは指導する立場にある人ほど大切なことです。

その気持ちを忘れずに指導していれば、きっと「感動」があります。

その経験が強い指導者に育ててくれると思います。

強い選手を育てたければ、自分自身が強くなるために努力する姿勢を失わないこと、これが一番大切かもしれません。


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2009年12月18日金曜日

決断を迫られるとき(1844)



計画を実行し、力をつけてくると大きな目標を掲げるようになる。

さらに上を目指すには、練習やトレーニング内容の修正も必要であるし、コーチやクラブを変えることも考えなくてはならない。

すべては計画にもとづいて遂行されるものだ。

その計画を遂行するには、大きな決断を迫られるときもある。

高いレベルを目指すのであれば、進学をどうするのかという問題まで考えなくてはならない。

あるコーチのサイトに、プロ選手のインタビューが載っていたので紹介しよう。

「プロになる事を選んだ理由は、誰でもプロにはなれるけれど自分は世界で通用するようなプロになりたかったから、そうなる為には学校に行っている時間がもったいなく思えてきたんです。ジュニアの頃から世界を回っていて、自分にとって必要な勉強は、英会話と経済観念だと言う事が分かったからです。英語の日常会話はほぼ大丈夫なので、あとは、科学や物理の授業をボーと受けているより、もし時間があればスペイン語やフランス語などの語学を勉強した方が私にとっては価値があると思ったからです。それに、なにより昼間に練習出来ると言う事が大きいです。毎日ゆっくりと集中した練習ができるしトレーニングもきっちりできる。その事が将来に向けて理想の体を作って行く事ができるからです。」

大変強い決意を持ってプロの道に進み、目標に向けてしっかりとした計画が立てられていることがわかる。

これが「強くなる」ために必要な法則なのだ。


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2009年12月17日木曜日

計画を修正する(1843)



計画は「柔軟性」を持っていなくてはならない。

基本的には、高みの方向に向かって修正することが大切であるが、場合によっては、下方修正することによってうまく計画が実行される場合もある。

ひとつのことを決めて、とことん打ち込むことが大切だというのはわかるが、人間は本当に「弱い生き物」である(もちろん私自身も大変弱い人間である)。

だから、できるだけ、弱音を吐いてもいいように、多少の「言い訳」は許してもらえるように計画することが必要であると言いたいのである。

どれくらいの周期で計画を見直すのが良いのかというと、あまり期間を空けすぎず、だからといってあまり頻繁に修正するのも困る、というところから考えて1ヶ月ごとに計画を見直すのが適当であると考える。

ジュニアに関しては、先に述べたように3月頃に大きな大会の予選が始まるので、1月、2月、3月の計画を作っておくのが良いだろう。

はじめの1ヶ月だけの計画を作っておいて、修正時期に新たに計画を作るのではなくて、あらかじめ3ヶ月分の計画を作っておいて、修正時期にその計画を見直すようにしたい。

そうすることで、はじめに計画を立てたときの自分と、今その時点にいる自分との意識の違いも確認できるからである。

はじめはあまり自信がなくて、低い目標の計画を立てたが、1ヶ月経って、計画以上に実行できたとすれば、次の1ヶ月の目標は意欲的に上方修正できるだろうし、計画どおりにできなかった場合には、次の1ヶ月は必ず実行できるような目標を立てることで、挑戦する意欲を再び駆り立てることができるようになるかもしれない。

人間は、自分の弱さを知らされた(この場合は、計画どおりに実行できなかった)とき、意欲を駆り立てるきっかけになることも多い。

だからこそ、適当な時期での修正が必要なのである。


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2009年12月16日水曜日

バックアップと同期(1842)



私は寮と家にパソコンを置いて仕事ができるようにしています。

それに加えて、パソコンの突然のクラッシュでファイルを失わないように、それぞれに外付けのハードディスクを取り付けてバックアップをしています。

2つのパソコンのディスクに、2つの外付けディスクを加えたバックアップ体制にあるということです。

実に堅牢に見えますが、ちゃんと同期をとらないと意味はありません。

いつ、どの場所からファイルを取り出しても、ちゃんと同期がとれていれば、最新の更新ファイルを使うことができます。

でも、これが結構面倒です。

なので、最近は、16GのSDカードをメインにして、それを中心にファイルの更新をしています。

いつも持ち歩くので、壊れないかと心配ですが、ここからファイルを取り出せば問題ないわけです。

2つの場所で仕事しているので、同期はとても大切な課題になります。

メールも、以前は移動するたびにメールファイルを持ち歩いていましたが、Gメールにしてからは楽になりました。

メールファイル保存に関しては多少の心配はありますが、それもパソコン上のメールプログラムの保存する方法を確認したので問題ありません。

今は、ファイルの交換などを気にせずに管理ができています。

同期は大変ですが、バックアップがあることで気軽にトライもできます。

でも、スポーツではそうはいかないですね。

やり直しはききません。

だからこそ、勇気を持ってトライしなくてはなりません。

そして失敗した時のバックアップ、それがコーチの仕事かもしれません。

何かあってもコーチのバックアップがあれば安心、そう思ってもらえるようなコーチになりたいと思います。


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2009年12月15日火曜日

プライオリティ(1841)



不安は誰にでもあるものです。

大切なことは、不安を大きく感じた時でも自分の行動をコントロールすることです。

行動をコントロールするためにはプライオリティ(優先順位)をちゃんと決めることです。

プライオリティをきちんと決められる人は、それに従って行動します。

それをあいまいにしか持てない人は、行動せずに、一番楽なものを選択します。

不安な状態に追い込まれた時でも、自分の行動をコントロールできれば不安に心とらわれることは少なくなります。

不安をエネルギーに変えることもできます。

不安を排除すべき対象と見るのではなく、常に自分の中にあって行動を起こすためのエネルギーだと考えるのです。

これを積極的受容性といいます。

同じような感情でも、恐怖であれば対象がはっきりとしているのでそれを排除すれば心安らぎます。

不安は対象が漠然とし、明確に対象化できないのでうまく排除することができません。

それは、人間にとって必要であると考えるほうが合理的です。

積極的にこの考え方を受け入れることで排除すべき対象ではなくなります。

不安はなくなりはしませんが、とらわれることなくより積極的に行動できるかもしれません。

そのための方法がプライオリティです。

安易に妥協せず、自分の決めたプライオリティに従って行動すること、これが大切です。

しっかりと行動し、不安をエネルギーに変えてほしいと思います。


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