2009年11月30日月曜日

ターニングポイント(1826)



偶然にせよ波に乗ったときは良いが、そのきっかけを逃して波に乗り損ねることも多いし、間違った流れに乗って失敗することもあるだろう。

「成功する」、「強くなる」にはこのターニングポイントで上手く良い流れに乗らなくてはならない。

そのためには、常にそのことについて、つまり「強くなること」について「思考」している「習慣」が必要である。

ここでは2つのターニングポイントについて考えてみよう。

ひとつめは、自分がテニスを通して「どんな風に生きていけばよいのか」という考えを持つに至る、人生におけるターニングポイントである。

私が教員を辞めてアメリカに渡ったという話は以前にもしたと思うが、そのきっかけは「些細な」ことであった。

ある時、愛知県の国体強化のための合宿が行われ、活躍が期待できるジュニア選手が10名程度集められていた。

合宿では毎晩ミーティングが行われるのだが、そのとき「あなたの将来の夢は?」という質問に対して答える、ということが目標設定の課題として与えられた。

そして、参加者のほぼ全員(女子選手は全員)が「プロ選手になる」、「世界で活躍できる選手になる」と答えていた。

今ならば、なぜそう書いたのかについて考察し、目標設定の意味を取り違えていることに気づき、目標はどうあるべきなのかを説くところであるが、その時は、ただ驚くばかりであった。

「この子たちは、そんなことを夢見てテニスに取り組んでいるのか!」と感動すら覚えていた。

その頃、私は大学の監督をしていたのだが、選手のモチベーションの低さや、学校における選手育成に対してやる気が萎えていた時期でもあったので、より一層新鮮に感じられ、「大きな夢に向かって、熱い心を持ってがんばっている選手にテニスを教えたい!」と硬く心に決めてしまったのである。

半年後には、調査のためにアメリカに2ヶ月間ほど出向き、その半年後には、教員を辞めて渡米していた。

もちろん、その間に紆余曲折もあったが、このときに感じた「思い」が私を「行動」に駆り立てた。

まさに、私にとっては「ターニングポイント」だったのである。

人生において、なかなかこのように「強く心に刻む」という出来事は少ないと思う。

しかし、そのとき私は、教員としてのテニス選手の育成には限界を感じていたし、本当の意味での(こころが揺さぶられるような思いを持って、といったほうが良いかもしれない)選手育成に携わっていきたいという気持ちが強かった。

その気持ちをずっと強く持ち続けていたことによって、ちょっとした「きっかけ」で考え方(意識)が大きく変わったのである。

ということは、強くなりたければ、どれくらいこころに「強く刻む」出来事に「めぐり合う」ことができるのか、が鍵となる。

以前、「人間が飛躍的に大きくなるためには、死ぬような大病をすること、浪人すること、破廉恥罪ではなく刑務所に入ることだ」(東山紘久「悩みのコントロール術」岩波アクティブ新書)と書いた。

大きな意識の変革をもたらすには、それくらい強いインパクトが必要なのである。

多くの選手はただ「強くなりたい」といっているだけで、それを強く心に刻んではいない。

自分の人生を賭けても惜しくないほどの「刻み」は、やはり強くなるには必要である。

かといって、このような衝撃的な出来事は、あまりあっては大変だ(大病ばかりしていたら、意識は変わってもテニスどころではないだろうし、刑務所で自由にテニスができるとは考えにくい)。

実際には、大きな出来事ではなくても、「心に大きく響く」出来事は多い。

ちいさなきっかけでも、それを大きな出来事として捉えるかどうかは、先にも書いたがどれくらい「深く思考」しているかによるのである。

ニュートンではないが、物理法則について考えに考えていたからこそ、りんごが落ちたという(些細な)ことを見たときに、絡んだ紐を解くがごとく明快に方程式を整理することができたのである。

「深く考えること」、このことなくしてこのようなターニングポイントは、「そこ」にあってもあなたを揺さぶりはしない。

また、ターニングポイントをその後の成功に結びつけるためには、すぐに「行動」することだ。

またしても私の好きなテレビ番組で申し訳ないが、おすぎとピーコが司会をする「金持ちA様、貧乏B様」という番組があったのだが、その番組では、成功にむすびついたターニングポイントと失敗に結びついたターニングポイントを紹介していた。

正直、どちらに結びつくのかは、やってみなくてはわからないというのが本当のところだろうが、成功した場合は、すぐにそのアイディアを実行に移し、そのことについてじつに深く考えていたことが、成功者のインタビューから読んで取れる。

「熟考し、行動する」、これがまさに成功への、強くなるための「法則」なのである。


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2009年11月29日日曜日

チャンス(1825)



うまくいかない時はチャンスです。

どうやればうまくいくのだろうとよく考えることができるからです。

そういう「考え方」を持つことができれば、いろいろなことにトライできるし、何が問題なのかも冷静に判断することができます。

一番良くないのは、うまくいかないことに気持ちを向けてしまうことです。

うまくいかないことに気持ちの焦点が向いてしまうと、感情が乱れます。

感情が乱れると、身体のコントロールを失います。

自分のイメージするスイングはできなくなりますね。

何度も言っているように、すべては心が決めます。

心とは、いつも集中できているとか、テンションが高いということだけではなく、うまく考えることができるということです。

メンタルトレーニングの目的は、そういう「考え方」を持てるようにすることです。

そういう意味で、うまくいかない時は「チャンス」です。

自分の「考え方」を変える「チャンス」は大きくなっています。

うまくいかない時は、イライラして、苦しくて、泣きたくなってきます。

でも、そこに「チャンス」があると考えて、前向きにトライし、戦う集中力を決してなくさない・・・そんな選手に成長してほしいと思います。


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2009年11月28日土曜日

全体をみる(1824)



アプライドキネシオロジーという学問では、特定の内臓に何らかのストレスが生じると、特定の筋肉に変化が起きることを内臓筋肉反射といいます。

内臓が精神的なストレスや感情でその状態が大きく変化することは広く知られているので、そう考えると、感情や思考が、筋肉レベルの状態に大きく影響することはある程度は証明されているということです。

そのような関係性を深く探っていくなかで、怒りの感情と腰痛を引き起こす筋肉との関係が大きいことが見出され、それに対するアプローチの方法が試行錯誤の上で確立されてきたのではないかと考えられます。

私が受講した講座でも、感情と筋肉アプローチというものを学びました。

そのアプローチを経験することで、確かに筋バランスは向上し、腰痛などの症状は改善されます。

また、無意識に強縮していた筋肉を、感情のコントロールと筋肉へのアプローチで改善することで、呼吸数は劇的に減少します。

ちなみに私の場合は、普通に楽にした場合で1分間に8回程度、リラクゼーションが進むと1分間に3回くらいの呼吸(身体的なアプローチを加えた場合には1分間に1回の呼吸も経験できました)が楽にできるようになります。

このように、人間はロボットではないので、感情や思考などのメンタルの状態が身体的にも大きな影響を及ぼすので、単に身体的、筋肉的なことに捉われるのではなく、メンタルも含めて全体的にその人の状態を見ようという動きは活発になってきています。

ホリスティック医学のような考え方は、そのような考え方に拠っていますが、共感できることは多いと思います。

テニスの指導でも同じではないでしょうか?

その選手の調子が良い悪い、良いボールが打てる、打てないを単にフォームが悪いと決め付けたり、体力的なことが劣っているからだと短絡的な判断することなく、メンタルや成長も考慮して、全体的にみて判断するよう心がけなくてはならないと思います。

大変難しい問題ですが、これは常にそのことを心がけてことに臨むしかありませんね。


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2009年11月27日金曜日

波に乗る(1823)



大垣日大高校が明治神宮大会を制したが、私がトレーニングを指導する愛工大名電高校野球部も4年前に全国大会制覇を成し遂げた。

そのチームは、ドラフトでプロ球団から指名を受けるような選手のいたチームに比べて、「打てない」チームと評され、前評判もそれほど高くはなかった。

実際、県大会の準決勝では優勝した高校にコールド負けを喫し、3位決定戦を勝ち上がって、やっとの思いで東海大会の出場権を手に入れたのである。

そのチームが東海大会であれよあれよというまに優勝して、その「勢いに乗って」全国制覇まで成し遂げたのである。

まさに「波に乗った」、「勢いに乗った」という表現がぴったりの快挙ではないだろうか。

では、どうして「波に乗る」ことができたのだろうか。

そのチームは「打てない」チームであることは間違いない。

だからバントを多用する作戦をとることで成功したのだが、このことを取り上げて、「作戦がばっちりだったからチームが勝った」、というのではない。

そういう作戦を「勝つためには絶対に必要なのだ」と、選手自身が心底「信じる」ことで「波に乗る」ことに成功したのである。

「流れ」はちょっとしたきっかけでつかむことができる。

「運」に恵まれて「波に乗る」こともあるだろう。

財団法人日本テニス協会発行のオフィシャルメールマガジンの中で、元デ杯監督の福井烈さんは「一流といわれる多くの指導者の方々の言葉を借りれば、『運に恵まれるのは努力の味を知っている選手だけ』と言われています。この全日本に出場している選手の皆が努力の味を知っている中で誰がその「運」を引き寄せる事ができるのか?勝負のあやもゲーム同様に楽しんで下さい。」と言っている。

このように努力するものだけに「運」が味方し、「波に乗る」ことができるのだが、もっと大切なことは、その「流れ」を止めないように、「沈みの方向」に持っていかないようにすることだ。

そのためには、いま自分がやっていることをどれくらいの「深」さまで「信じる」ことができるのか、が大変重要である。

その「深さ」がじゅうぶん深ければ、きっと「流れ」は止まらない、ずっと続いていくのである。

また、その意識が高いレベルにあれば、必ず「流れ」はくるのだが、その「流れ」が来ることを「期待」している(しすぎている)ときは「流れ」は来ないという不思議な性質を持っている。

無我夢中、一意専心、一所懸命、無私無欲、などの言葉は「意識」がどうあるべきなのかをうまく表現している、と思う。


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2009年11月26日木曜日

大変(1822)



「大変」とは「大きな異変や大事件」のことで、今までとは大きく変わって対応できずに右往左往することです。

確かに今までと大きく何かが変わると、戸惑い、焦り、生活のリズムも変わり、疲労も大きくなります。

そんな思いをするのなら何も変えなければいいのですが、成長するためには進んで変えなくてはなりません。

子犬が我が家にやってきただけでもう「大変」です。

毎日何度もトイレのシーツを変えます。

餌もやらなくてはなりません。

かなり面倒です。

でも、この面倒を引き受けて、行動することで人は変わります。

下の娘は、早く起きるようになりました。

トイレの始末も積極的にやります。

餌や水をあげたり、布団の整理整頓も迅速に行います。

犬のフェンスの前で寒いのを我慢して宿題をしています。

今までのルーズな行動からは想像できないくらいの変わりようです。

そう、「大変」とは、大きく変わるということです。

寮での生活を始めた時、犬の世話以上に「大変」な思いをしました。

今も管理は大変です。

でも、ここで生活することで子どもたちは大きく変わります。

もちろん、私も大きく変わります。

コーチとしてのものの考え方も変わりました。

コーチという職業や立場についても深く考えるようになりました。

もし、「大変」がなければ、ここまで変わったかどうかわかりません。

よくよく考えてみれば、大きな変化があって成長してきたように思います。

変化は確かに面倒くさい、でも成長の糧になる、それは・・・間違いありません。

娘や寮の子供たちの成長を見るとそれは確信になります。

これからも自ら変化を求めて進んでいこうと思います。


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2009年11月25日水曜日

パートナー(1821)



我が家に新しい家族が増えました。

柴犬の男の子です。

私が小さい時は、犬を飼っていたことがありましたが、何年も飼ったことがなかったので戸惑うことも多いですね。

でも、私たちの姿を見ると、小さいな体でぴょんぴょん飛び回る姿は愛らしく、気持ちも癒されます。

世話はもちろん大変です。

下の娘がちゃんと世話をする、という約束なので、今のところ一生懸命にやっています。

シートを変えたり、餌をあげたり、気になって気になって何度も観に行く様子には笑えますが、こういう経験はとても大切だと思います。

最近の犬や猫はとてもデリケートらしいので、世話も大変でしょうが、その分愛情は深くなると考えて見守っていこうと思います。

なんでも、人間の食べるものは与えてはいけないらしいです。

家に来て、1週間くらいはあまり抱っこしたりしない方が良いそうです。

しつけの仕方や予防接種、遊び道具まで、何でもアドバイスしてもらえるので、そういう点では安心ですが、なんだかマニュアル化していて、どうなのかなと思うこともあります。

犬や猫はペットではありますが、人の大切なパートナーでもあると思います。

パートナーである以上は、共に歩むという姿勢が大切だと考えます。

人間の勝手な考えで判断し行動するのではなく、犬の気持ちになって考えてあげるということですね。

いろいろとトラブルがあるとしても、その気持ちを忘れない限り、うまくやっていけると思います。

犬の寿命は10年から15年くらいだそうです。

私が前に飼っていた犬は17年生きました。

生ある限り、パートナーとして大切にしていこうと思います。

それとともに、娘たちの成長を楽しみにしたいと思います。

ちゃんと私にもなついてくれるかなあ・・・。


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2009年11月24日火曜日

チャンスはピンチ(1820)



チャンスだと思うと、力が入りすぎてミスショットをしたり、イージーボールになって相手に簡単にポイントされることはよくあります。

そうすると、一気に相手のペースになり、簡単に逆転負けを許すこともあります。

チャンスボールには、大きな「わな」が潜んでいることを覚えてください。

ポイントが取れて当たり前だと思う気持ちがミスショットを誘うのです。

ポイントを失うと、動揺して不安や恐怖は増大することは分かっています。

また、リードされたり、ピンチのときには、あせりやあがり、びびり(最近では“チキる”という言葉が使われます)などのマイナスの感情が起きます。

そのような時は、自分が劣勢に追い込まれているので、マイナスの感情が起こることは理解できます。

しかし、マッチポイントやゲームポイントのように、自分がリードしている場面でも同じような心理状態になり、自分のテニスを見失ってポイントを奪われ、悔しい逆転負けをしてしまうことは少し不思議な感じもします。

なぜ、チャンスであせったり、びびってしまうのでしょうか。

子供たちに試合後に感想を聞いてみると、意外とリードされているときにびびることは少ないといいます。
どうしてもこのポイントが「欲しい」と思うときに、緊張が襲うのです。

そうすると、頭がまっしろになり、何をして良いのかわからないまま、相手のミスを待つだけの消極的なテニスに変貌し、攻撃されてポイントを失っていきます。

まさに、「チャンスはピンチ」なのです。

チャンスで緊張してしまう原因を探っていくと、

●このポイントを取れば勝てるが、取られると負けてしまうと考えて、積極的に攻めることが怖くなって気持ちが引く

●この試合に勝つと、シードがついて次の試合で楽に勝つことができるなどの欲望に意識が向いて、ボールを打つことに集中できない。勝手に勝ったと錯覚する

●以前にも同じような場面でポイントを取られて負けたことがイメージに浮かび、緊張が高くなる

などの原因が挙げられます。

このような気持ちは、ほとんどすべての選手が経験してきているのではないでしょうか。

このような気持ちになったときはどのように対処すればよいのでしょう。

まずは、チャンスはピンチであることをしっかりと自覚することからはじめましょう。

チャンスボールという言葉は、自分で作り出している幻影のようなものです。

チャンスボールは「チャンス」ではなく、大きな「ピンチ」であり、今まで以上の強い気持ちで、「勇気をもって」打たなければならないと、強く自分に言い聞かせてください。

そして、強い選手はポイントがほしいときに勇気を持って攻撃するが、弱い選手は守ることを記憶して、試合に臨むことです。

そのような自覚が持てれば、きっとチャンスは本当のチャンスになるはずです。


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2009年11月23日月曜日

ハンディを与えない(1819)



試合において、相手に「ハンディを与える」ような試合が多いのが気になります。

もし、サービスは1本、30ハンディで同等の力を持った選手と戦うとして、勝つ確率はどれくらいあるでしょうか?

それはほとんど「ゼロ」に近い、というよりも「ゼロ」です。

しかし、そんな試合をすることはたくさんあります。

自分の3回のサービスゲームで7回もダブルフォールトをする選手

後半の勝負所で、11ポイントのうち1本しかファーストサービスが入らず、4回ダブルフォールトをする選手

果たして、このような試合をしていて勝つことができるのでしょうか。

もちろん、子どもたちは負けたくないと思って一生懸命に戦っています。

しかし、「勝つために」は勝つための「選択」をしなくてはなりません。

ぎりぎりの勝負で、「相手にハンディを与え」ていては勝てません。

大切なポイントで、ファーストサービスを入れられなかったり、ダブルフォールトを繰り返す選手では勝てないのです。

「戦う」ということは、自分有利な状況に相手を追い込むことにほかなりません。

そのためには絶対に「相手にハンディを与えない」、そういう試合をしなくてはなならないのです。

まずはサービスを確実に入れることから始めてください。

サービスは最もメンタルが影響し、試合の動向を左右する大切なショットです。

全身全霊を込めて、「絶対に入るサービス」を練習してください。

その自信がつくだけで、競った試合でも自分自身にかけるプレッシャーは小さくなります。

当然、その分だけ相手はプレッシャーを受けることになります。

それでやっとイーブンで戦える、そう考えてください。

ストロークのミスは、相手のショットが鋭ければやむをえないことも多いので気持も切り替えやすいものですが、サービスはすべて自分の責任です。

だからこそプレッシャーが大きくかかり、ミスが重く影響します。

そんな時に「相手にハンディを与えない」ようにしっかりとサービスを入れてリズムを作り、自分のペースで試合を運ぶことができるようになってほしいと思います。

一番の課題は「これ」です。

最も高い集中力を持って取り組んでほしいと思います。


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2009年11月22日日曜日

成功をまねるな(1818)



苦労して目標を達成したスポーツ選手は、多くの人に感動を与えるエピソードを数多く持っている。

また、イチローなどのようなスーパーヒーローについての成功秘話はごまんとある。

それらの本を読んでいると、「なるほど!」と感心することも多いのだが、「一流の選手はこのようなことを実践して成功したのだから、あなたもそれに倣ってがんばって成功しなさい」みたいなことをいわれると、「それはちょっと無理だよね」と思ってしまう。

過去の成功事例に学ぶことは大切なことだ。

しかし、成功した事例をまねてみても、まず成功することは無い。

「強くなるため」に学ばなければならないことは、成功した人はすべて独自の方法で成功したということ、そして、誰のまねもしようとしなかったということである。

自分ひとりで考えて(もちろん、時にはコーチと一緒に)、悩み、試行錯誤し、運もあっただろうが、自分だけの挑戦をやり続けることで成功したのだ。

私の尊敬するスポーツ選手に、ハンマー投げの室伏浩二選手のコーチであり、父親でもある室伏重信先生がいる。

研究室が隣だったことや大学院で陸上の授業を受けたことが縁で、いろいろと話をする機会があったのだが、世界では誰もやったことのない4回転ターンを考え、それにただ一人挑み続けたことはまさに賞賛に値する(その遺伝子が確実に息子に受け継がれ、世界の舞台で大輪の花を咲かせた)。

誰も教えてはくれない、教えてくれるはずはないのだ、誰もやったことがないのだから。

スポーツに限らず、強くなるためには、人と同じことをやっていてはだめだ。

なにか自分独自のものを見つけ出そうとしない限り、ナンバーワンにはなれない。

繰り返していうが、成功者の行動や考え方に触れることは大切であるが、成功者の考え方をそのまま受け入れてまねてもだめだ。

それをヒントにして自分独自の方法や考え方を持つことが何よりも大切であることを忘れてはならない。


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2009年11月21日土曜日

目標はいらない(1817)



今までにメンタルトレーニングの本などに目標設定の重要性を説明してある箇所を読んで、実際に目標設定をしたことのある人は、その目標を書いたものをもう一度持ち出してきてほしい。

チェックしてみよう。

①その目標は変わっていないか?

②目標を達成するための意欲は衰えていないのか?

③その目標を達成するために今何をしているのか?

を自問してほしい。

<タイプ1>もし、何も変わっているところはなく、その目標に向かって自分のできることが明確になっているのなら、あなたは成績によらず自分の持っている力をいかんなく発揮する可能性は高まっているかもしれないが、強い選手になるかどうかはまだわからないといったところだ。

<タイプ2>次に、①は変わっていないが、②と③は変わってしまっている。意欲が衰えてしまい、自分のなすべきことが明確でないならば、残念ながら強くなることはむつかしい。目標は、あなたに達成されるのじっと待っていてはくれない。つかみとるための意欲と努力が少なければはるかかなたに遠ざかってしまう、という当たり前のことを忘れている。

<タイプ3> 最後に、①は変わってしまったが、②と③はまったく変わっていないどころか、その達成意欲は高まり、自分の課題はより明確ですべきことがはっきりと自覚できている、という人はそのままやり続けてほしい。きっと強い選手になる。

このように、3つのタイプに分けて考えてみた。

まあ、なにごとも完璧に類別できるわけではないが、このようにタイプ別に分けて考えていくことで、「目標を正しく設定する」ということの意味がわかりやすくなると思ったのでこのような手法を試みた。

あなたはどのタイプだろうか?

ここで言いたいことは、自分で掲げた目標に向かって突き進むことができるのは、その可能性を感じているときだけだということだ。

夢のような目標でも何でもよいが、その目標は実現できるという確信がある程度無ければ、その目標によって自分自身の気持ちが高まり、それに向かっていくという行動力は生まれてはこない。

そして、大きな目標を掲げているにもかかわらず、すぐ前の小さな壁をなかなか越えられないときには、目標を掲げたことがマイナスになってしまう場合もある。

例えば、「全日本のチャンピオンになる」という目標を掲げている者が、どうしても地域大会でチャンピオンになれないときに、なんだかテニスがどんどん楽しくなくなってくる。

そして、自分の掲げた目標を忘れてしまうか、進んで忘れようとする。

こうなると、目標を達成するためにがんばってきたことが無意味に思えてきて、楽しくなくなってしまったテニスを辞めてしまうかもしれない。

そういう場合もあるということだ。

これが、わたしの言うところの「目標の弊害」である。

では、「強くなるために毎日10キロ走る」という目標を立てた場合はどうであろうか。

この場合は、たとえ全日本のチャンピオンになれなくても、その目標は自分自身にとって意味を持っている。

行動の目標が具体的なだけに意欲も駆り立てられやすいが、「強くなる」ということが何かの大会に優勝するという結果に置かれるのではなく、あくまでも昨日の自分よりも強くなるためにという自己評価に拠っていなくてはならない。

しかし、このような目標を掲げた場合、雨の日でも風の日でも、はたまた自分が風邪を引いて寝込んだときでもやり続けなくてはならない。

単純に繰り返される目標ほど継続することはむつかしい。

だいたい3日で終わる(だから3日坊主という)。

このように自分で目標を掲げたのにも関わらず、途中で中断することが何度か続くと「自分は意欲が足りないだめな奴だ」というレッテルを自分に張ってしまい、やる気をなくすことも多い。

そのかわりに言い訳は上手になるかもしれない。

このように具体的な行動目標は意欲を高める効果があることは認めるが、継続することははなはだむつかしい。

では、「全力を尽くす」、「ベストを尽くす」という目標はどうか。

R.マートン(「メンタルトレーニング」大修館書店)は「この目標のよいところは、選手は決してその目標を超えることはできない、というところだ。なぜなら自分のベストがどれくらいなのかなんてだれもわかっていないのだから。そして、ベストをつくしているかどうか定義のしようがないのだから、これは安全な目標でもあった。しかし、この目標の短所はまさにその不明確さにある」と述べている。

私もこのような目標を設定することをすすめてきた。

合宿などの短期の集中した練習環境では、毎日の自己評価をチェックするなどの方法をとることで練習意欲が向上し、よい成果を生むことは確かにある。

しかし、不明確であるがゆえに、単純な繰り返し目標と同じように継続することはむつかしく、長期間掲げる目標としては適切ではないのかもしれない。

こう考えてくると、「世界チャンピオンになる」とか「この試合に優勝する」というような結果目標よりは、「何キロ走る」とか「腹筋100回やる」というような具体的な行動目標のほうがよい効果を生むかもしれない。

また、毎日の練習で「ベストを尽くす」ことをやり続けることができれば強くなるのだが、継続することはむつかしい。

つまり、どの目標を掲げるにしろ、目標を掲げるだけで意欲的に行動し、積極的に練習を行うようになり、その結果期待するものが手にはいる、というものではないようだ。

私は、コーチとして子どもたちにどのような目標を持ってもらえばよいのか、はたまた目標などいらないものなのかを悩んできた。

そんなときに面白い本(デイル・ドーテン「仕事は楽しいかね?」きこ書房)に出会った。

この本はビジネス関係の啓蒙書なのだが、「人生はそんなに扱いやすいものじゃない。僕は人生の中で何をすべきかなんて、問いかけなくなった-どうせ、人生なんて思いどおりにはならないからね。僕がいままでに掲げた目標が一つだけある。それは“明日は今日と違う自分になる”だよ。」という文がとても印象に残り、自分も“明日は今日と違う自分になる”という目標を揚げるようになった。

この目標は簡単ではない。

本の中では、「僕のたった一つの目標は、簡単なんてものじゃない。<毎日>変わっていくんだよ?それは、ただひたすら、よりよくなろうとすることだ。人は<違うもの>になって初めて<より良く>なれるんだから。それも一日も欠かさず変わらないといけない。いいかい、これはものすごく大変なことだ。そう、僕が言ってるマンネリ打開策は簡単なんかじゃない。とんでもなく疲れる方法だ。だけど、わくわくするし、<活気に満ちた>方法でもあるんだ」「人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的にどこに行き着くか、まったくわからないところなんだ」「毎日毎日違う自分になること。これは“試すこと”を続けなければならないということだ。そして試すこととは、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、試行錯誤を繰り返しながら、それでもどうにかこうにか、手当たり次第に、あれこれやってみるということだ」と書かれている。

このように考えていれば、「自分が強くなるために必要なことは何か」が明確になってくるはずだ。

目標を立てようと思わなくても、「明日は~をしよう!」という目標が自然と思い浮かんでくる。

もちろん、それが「明日20キロ走ろう」でも「明日の試合では全力を尽くしてベスト8に入る」でもかまわない、“明日は今日と違う自分になる”ことを決意していればよい。

この連載の1回目に、「苦心」と題して、次のようなことを書いた。

「テニスの選手を志す以上、チャンピオンになることを夢見るに違いない。でも、現実は大変に厳しい。あなたは、がんばっても、がんばっても届かない栄冠に対して、「なぜ、私だけがこんなに不幸なのだ。」と嘆き悲しむかもしれない。しかし、もしすべてあなたの想像するようにうまくいったとして、果たしてあなたは幸せだろうか。苦しみがなくなれば、喜びもないといわれる。苦労して、苦労して手に入れたときに人間は感動するのである。しかし、もっと強い人間は、苦労そのものに喜びを見出すのである。今、まさに苦労していて、それを乗り越えるためにさまざまな工夫をしている自分、その苦心の中から何かひらめきを得たときに感動できる自分がいたなら、きっとあなたは強くなる」と。

私は、まさにこのことを何度も言いたいのである

ある目標を掲げたとしよう。その目標は世界チャンピオンかもしれない。

しかし、その目標が手に入ったとして、それで苦労がなくなるわけではない。

苦労は、さらに毎日続く。「それ」を自分の目標にしない限り強くはなれないのである。

長田一臣(「勝者の条件」春秋社)は、メンタルトレーニングは「選手生活が終わってもなお人生のどんな局面でも通用するという生き方ということを訓練する」ことだといっている。

“明日は今日と違う自分になる”という目標を持って、毎日変わることができるのなら人生は豊かになると思う。

強さを手に入れるのもすぐそこだ。


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2009年11月20日金曜日

忍耐力は競争の中で培われる(1816)



何事にも「耐え」「忍ぶ」能力は、過酷な状況の中でさらに磨きがかけられる。

スポーツにおいてもっとも過酷な状況のひとつは、「競争」に負けることだ。

野球の世界では、幼少の頃より大変熾烈な競争が繰り広げられる。

名門高校では、何人かに一人の割合でしか入学を許可されない。

また、たとえ入学できたとしても、3年間一度も公式戦に出場できない選手は何人もいる。ポジション争いも熾烈だ。

ある選手が怪我をしたら、そのポジションを巡って、他のポジションの選手もレギュラーになるために果敢に競争を挑んでくる。

もちろん、いじめや暴力など、スポーツのマイナスの面も多くある。

このような熾烈な競争の世界に常にさらされているのだ。

それに耐えられない奴は生き残ることができない。

そして、そのような激烈な競争を経験してこそ、「この一勝」に賭ける気持ちが極限にまで高まり、自分を追い込むことができる。

だからこそ敗戦によって全身を覆う虚脱感に苛まれ、泣いて我を忘れるしかなくなるのである。

それほどまでに「賭けて」いないと、この世界では通用しない。

一方、テニスというスポーツは個人スポーツであり、誰もが試合に出ようと思えば出ることができる。

試合に「出る」ための競争はない。

団体戦があるにしても、テニスは個人戦のポイント制であり、そのメンバーは単純に技量の高低で決まる場合が多い。

野球のように、足が抜群に速い奴とか、バントがめちゃくちゃうまい奴(巨人の川相みたいな選手)とか、声がやたらにでかいムードメーカー(野球ではこういう選手はいざという試合にはとても重要な役割を果たす)などが選ばれることはない。

交代要員も少ないので、メンバーをもぎ取ろうとする意欲を持ちにくいのだ。

また、最近は民間クラブから育成が始まるので、親やコーチのサポートが手厚く、理不尽な要求に耐えるなどのスポーツ本来の忍耐力を求められる場面が大変少なくなっている。

こう考えると、テニスの世界、特にジュニアを取り巻く世界は、スポーツの中ではもっとも「甘い」と言わざるを得ない。

真に競争を経験していないものは、やはりもろい。

ちょっとしたことで動揺し、自分をコントロールできなくなるような選手が大変多い。

競争を経験していないので、「戦う」ことの本質がわからないのかもしれない。

磯貝芳郎と福島脩美(「自己抑制と自己実現-がまんの心理学-」講談社現代新書)は、「今は、周囲に何でもある。そんな中で前向きな希望のある目標を探し出して、粘り強く自分を成長させる我慢をするのが、本当の我慢である。とすれば、今ほど我慢する心を作るのにこんないい時代はない。」と言っている。

テニスに当てはめてみれば、競争のはげしくない世界だからこそ、自ら進んで競争し(戦いを挑み)、忍耐力を磨くことで誰よりも強くなるチャンスは大きくなるということだ。


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2009年11月19日木曜日

自分にしかできない(1815)



よく、「なんで寮なんか作ったの?」と聞かれます。

はじめは、週末にクラブに通ってくる子供たちのためにアパートを借りました。

そういう子どもたちの中から、名古屋に出て自分の力を試したい、とう子が何人かいて、その子たちが生活してテニスに打ち込める環境を作るために中古の一軒家を購入して本格的な「寮」を作りました。

たくさんお金も使いましたが、その運営管理のために本当にたくさんの時間を使います。

利益はありません。

「じゃあ、なんでやってるの?」という質問は至極あたりまえの質問ですね。

それは、「子どもたちの成長を見届けたい」、からです。

民間のクラブでのジュニア育成は、いくつもの課題を抱えています。

そのひとつが進学の問題であり、高校や中学に進学することでクラブを続けられなくなってしまうことがあります。

それはとても悲しいことです。

できれば大学に進学するまではきちんとその成長を見届けたいのです。

そのための環境作りに「寮」は欠かすことのできない存在です。

でも、誰もやりたがりません。

時間もお金もかかるのに、それに対する見返りなど期待できないからです。

何としてでもその「思い」を実らせるんだ、という「信念」だけが支えです。

それでも、時々、その「信念」が揺らぐこともあります。

そんな時ほど、「なんで寮なんか作ったんだろう?」と後ろ向きの考えになってしまいます。

そんなことをぼおっと考えていた時に、不良少年ばかりが集まるバスケット部の物語を読みました(マンガですけど・・・)。

そのバスケ部は問題ばかり起こして、休部状態にあり、廃部寸前です。

それを食い止めるために、強豪校との練習試合で勝つことが条件でした。

試合は白熱しましたが、最後は地力に勝る強豪校が勝ち、バスケ部の廃部が決まりました。

しかし、その試合を見ていた、前顧問の先生が子供たちのバスケにかける情熱に心を動かされ、誰もなり手のない顧問に就任することを決断するのです。

その時の第1子を出産したばかりの奥さんとの会話は、こうです。

「どうして?」
「断ったらいいじゃない」
「そもそも学校で(彼らは)アナタのことを・・・」
「いやいや、そうういうことじゃないんだっ」
「自分からやらせてほしいと頼んだんだ」
「!」
「見てくれはあんな奴らだが、皆、真剣なんだ」
「いいの?それで」
「前にアナタがよく口にしてたことよ」
「”人はそう簡単に変わらない”って」
「もし今度同じような不祥事を起こしたら・・・」
「だからだよ」
「ちゃんと見届けてやりたいんだ」
「図体はでかくても子供は子供だ」
「正面からちゃんと見てやれる大人の存在は必要だよ」
「誰もやらないからじゃない」
「自分にしかできないと思ったんだ」

この最後の言葉、

「誰もやらないからじゃない、自分にしかできないと思ったんだ」

を読んだ時は、その言葉が大きく胸に突き刺さりました。

そう、自分にしかできない、そう強く思うことが原動力です。

ちょっと忘れかけていた思いかもしれません。

強い思い、これをなくしたらいけませんね。

がんばります!


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2009年11月18日水曜日

正しい自己中のあり方(1814)



スポーツに真剣に取り組んでいる人は「さわやかで」、「思いやりがあって」、「我慢強い」というような一般的な概念がある。

しかし、実際にスポーツを指導していると、「ほんとかあぁぁぁぁ!」と突っ込みを入れたくなるようなことのほうが圧倒的に多い。

もちろん、青少年の正しい(と思われる)人格形成や道徳的な行動を身につけるためにスポーツが役に立つことを否定するものではないが、実際にはもっとどろどろとした、人間の本質的なエゴが噴出していることのほうが多い。

それを多くの指導者やマスコミは否定するのだが、実はそのどろどろとしたエゴの中に「強さの秘密」が隠されていることには気がつかない。

いや気がついてはいるけれど、美的に表現しようとしすぎているのだ。

だいたい、(巨人の星で)幼少のころより大リーグボール養成ギブスをつけていてさわやかなスポーツマンになるとは思えないし、超お金持ちの御曹司が身体がぼろぼろになるまで何キロもある鉄球を打ち続けるなんて無理くさい。

わが子の野球生命が絶たれるかもしれない戦いに敵として臨む親なんてのは、スポーツというものをどう考えていたのか聞いてみたいものだ。

そういった意味で巨人の星は、スポーツのどろどろとした部分を見事に描いた傑作なのだ。

このように、「怒り」とか「エゴ」とか、人間が本質的に持っている「戦う」ための感情や資質が低ければ、やはり戦いに勝つことは難しい。

しかし、その資質がいくら高くても、コントロールできなければスポーツの場面で生かすことはできないというのも真実である。

やみくもに怒っていたり、わがまま放題の奴は「自己中」といわれて敬遠されるだけだ。

単なるわがままと「正しい自己中」とはどういう違いがあるのかを理解していないと、その自己中心性がスポーツで強くなる資質だとしても、十分に生かされるようにはならないのだ。

ここでは、スポーツに生かすことのできる正しい自己中のあり方について学んでみよう。

まず、斎藤勇(「自己チュウにはわけがある」文藝春秋)のいうように、「人の自己中心性はなくならない」ということをはっきりと認識することからはじめよう。

自分の行動はいつも見ているからよく知っているが、他人の行動については断片的にしかみえないので、ちょっと自分の気に入らない行動を他人がとると、不平不満がアメーバのごとく増殖する。

このようなことは日常茶飯事に起こる。

あるとき、試合前に子どもたちに自主的な練習を行わせたところ、一部のご父兄の方から「コーチは試合前なのぜんぜん練習を見てくれない」、「もし自主練でよいというなら、スクールに通う必要はない」という指摘を受けた。

自主練を始める前に、子どもたちには「試合前は単純な練習を集中力を切らすことなくやり続けることがとても大切で、その中で自分の課題をつねに意識して取り組まなければならない。」と十分に説明したし、その時間以外のレッスンでは課題などを入念にチェックしてきたにも関わらず、このような指摘を受けたことに対しては、正直とまどった。

しかし、親というのは自分の子どもの利を第一に考えるものだし、そのときの断片的な状況を判断して不満に思ったということは、私の説明も不十分だったのだろうと反省もしている。

もちろん、私の指導に対する考え方が間違っていたとは思っていない。

自主的な練習が上達のためには必要であることは確かなことだし、基本的にこのやり方を変えるつもりもない。

自分が正しいと思うことに対しては、信念を持って行動をとることが大切だと考えるからだ。

ただ、ご父兄の方がそのような考え方をもつことを理解することで、より良いレッスンにつながるとは思っている。

わがままな考え方かもしれないが、このような「自立した自己中心性」が強くなるためには必要である。

勢子浩爾(「ぶざまな人生」洋泉社)は、「わたしの言い方で言えば、「個人」というのは、まず最低限の条件として、一人ひとりの存在が世界で唯一の価値と意味を持った存在(「自分」)である、ということを互いに尊重することによって成立する個人のことである。つまり他者をもっている。このことが第一義である。この条件をすっ飛ばしたところでは、自分の主張も、自己決定も、国や社会からの自立もへったくれもない。」といっている。

また、福田和也(「悪の恋愛術」講談社現代新書)は、「自分のものとは異なる視点をどれだけ許容できるか、包含できるかということが、人間の成熟、成長の尺度でもあるわけです。」という。

ちょっと難しい表現であるが、他人を一方的に非難するのではなく、他人の考えを尊重した上で、自分の信念を貫く姿勢が「正しい自己中」であるということだ。

単なる「わがまま」とは違う、スポーツ選手としての資質を伸ばすためのただしい自己中心性があなたに備わっているかを良く考えてほしい。

・相手のミスジャッジに対して、悪態をつき、わめき散らしていないか

・審判のジャッジに対して、審判を馬鹿にしたような態度をとっていないか

・自分のミスに対して怒りが収まらず、ふてくされて試合をしていないか

・リードされて、やる気をなくし、うなだれて試合をしていないか

私はこのような試合を何度も見てきた。

もし、このような試合をしているのなら、あなたに正しい「自己中心性」は備わっていない。

他人を尊重し、信念にもとづいて行動することが欠けているからである。

「怒り」に自分を見失うことなく、戦う姿勢を失わず、冷静に自分の信念にしたがって行動し続ける選手であってほしい。


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2009年11月17日火曜日

コートの上で怒れ(1813)



コートの上で怒れない奴は強くはなれない。

米沢徹コーチに「私がアメリカに来て最初に教えられたことは、コートの上で怒ることだった。」と聞いたことがある。

私の経験の中でも、やはり日本人はおとなしいと感じるし、コート上で怒っている場面に出くわすことは少ない。

これを日本人は美徳とみなす場合が多いのだが、はたしてそうであろうか。

特に、スポーツの場面では美徳とばかりはいっていられないと思うのだが。

中島義道(「怒る技術」PHP)は、「「怒り」とは「悲しみ」や「寂しさ」や「虚しさ」や「苦しさ」といった単なる受動的な感情ではなく、表出とコミになった感情です。怒りとは、身体に密着した感情であり、怒りが高じるとぶるぶる身体が震えてきたり、頬が紅潮してくる。弱い場合でも、歯を食いしばったり、心臓の鼓動が速くなったり、目つきが鋭くなり目が据わってくる。つまり、攻撃性をはじめから含みもつ感情であり、まだ具体的に相手を攻撃しないまでも、身体の全体がすでに攻撃の準備段階に入っている、そんな感情です。ですから、怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人と言いかえることができましょう。」と述べている。

テニスは戦いであると何度も述べてきた。

戦うためには相手に対して怒りの感情を持っていなくてはならないのだ。

「怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人」という文を強く心に留めなければならない。

また、「怒りは相手に積極的に向かっていくベクトルをもっているのに、それが恐れに変化してしまったとき、ただただ相手から逃れる方向に全身体が動いていく。自分を崩れないように保持するだけでせいいっぱいで、なるべく考えず感じずひたすらに生き延びようとする。」と述べている。

「怒り」の感情と「恐れ」の感情の押し合いでどちらの感情に支配されるのかということである。

弱い選手は、この感情の押し合いに負ける。

恐れて、自分の力を信じることができなくて、相手と戦うことができなくて、負けていくのだ。


「怒り」の感情は戦いの場での勝敗を左右することを学んだとして、どのように訓練すれば「怒り」の感情を高めることができるのか。

怒りを表現しろといってもそれをコントロールできなければ、単なる「嫌な奴」になってしまう。

中島(同)は「いつも本当に怒っていたら身がもたない。社会心理学の用語を使えば「感情管理」が必要なわけで、自分の怒りに呑み込まれてしまうのではなく、いかにはげしい怒りであっても、怒りながら冷静にそれを自覚し観察している技術が必要です。」という。

つまり、上手に怒れる人が強くなるということだ。

「怒り」は、身体動作と表出一体の感情なので、身体動作をコントロールすることは大変有効な訓練になる。

大きな声を上げる。

ガッツポーズを激しくやる。

相手に(正しく)クレームをつける。

気合いを入れる。


これらを実際の試合で、コートの上でやり続けるのだ。

簡単ではない。


怒りを表すことを訓練してこなかったものは、身体動作と感情の一致が起こらないので、「恥ずかしい」とか、「別にいいや」とか、「私には無理」と、その行動を拒否する方向に気持ちを向けてしまう。

そういう選手ほど、弱々しい態度を取り続ける自分に腹が立っているはずなのに、そして相手に対して「怒って」いるはずなのに、それを行動として表すことができないのだ。

残念ながら強くなることはできないだろう。


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2009年11月16日月曜日

最後のページ(1812)



寮では毎日食材を届けてもらっています。

ほぼ調理済の食材なので、調理の手間がかからず短時間でできるので重宝しています。

寮生が毎日のように調理をしていますが、これだと花嫁修業にはなりません。

でも、できるだけ生活することに手間をかけずテニスに専念するためには仕方ないですね。

この食材の配達をどう頼んだのかを卓上カレンダーに記録しています。

だいたい2週間前くらいに頼むのですが、それを記録するカレンダーのページが最後のページになりました。

もうすぐ今年も終わりなのかと、ちょっとさみしい気がしました。

寮生との別れ、卒業生との別れ、それが近づいています。

新しい出会いを期待する気持ちもあります。

卒業する寮生たちが、ギャーギャー言いながら調理していたのをなつかしく思い出して思わず笑ってしまいました。

寮での生活は、料理の腕は上がらないかもしれませんが、ちゃんと成長させてくれる・・・そう思います。


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2009年11月15日日曜日

やってみる(1811)



「JUST DO IT」は、ナイキのナイキスローガンですが、この考え方は大切です。

まず、やってみることです。

とにかく、やってみようと思うことです。

これを怖がったり、面倒くさがったりする人がいます。

より良くするということは、何かを変えることに他なりません。

何かを変えるには、まずやってみないと始まりません。

その行動力を持たない人はうまく変えられないということです。

このメッセージは、私が教えている全ての人に贈りますが、何よりも自分自身に贈ります。

たまにはナイキの服でも着て頑張りますか!


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2009年11月14日土曜日

自己治癒力(1810)



この時期は急に寒くなったり、寒暖の差が大きくて風邪をひきやすいですね。

特に今年は新型のインフルエンザが流行っているので気をつけなければなりません。

しかし、ちょっと熱が出たからと言って、すぐにお医者さんというのはどうなんでしょう。

私はまずは様子を見ます。

高熱であればすぐに対処しますが、そうでなければやはり様子見です。

大切なことはしっかりと寝ることです。

熱が出れば、すぐに医者や薬という気持ちは分かりますが、重篤でない状態であれば家内療養で十分だと思います。

あわてて医者にかかると、インフルエンザに感染する可能性も高くなるのではないでしょうか。

待合室で長い時間待たされている間に感染する危険性は高くなります。

感染しているという確信があるのでなければ、しばらくは様子を見るというが正しい選択だと考えます。

私は一度もインフルエンザに感染したことがありません。

もともと免疫力も高いのでしょうが、多少の風邪は自力で治す、という考えで対処してきたからではないのかと思っています。

私は熱が出たら熱めの風呂に入り、さらに高温の腰湯にして汗を目一杯かきます。

サウナ状態ですね。

そのまま布団に入り、汗をかいて着替えるというのを3回ぐらい繰り返します。

もちろん水分は十分に取ります。

それで次の日にはほぼ回復しています。

私の方法は、舞台などで絶対に休むことができない役者さんのやっている療法です。

絶対に休むことができないという状況で、自己治癒力を高める方法を自然と体得していったのだと思います。

人間の持つ回復力、自己免疫力を高めることこそ大切だと考え、そのために行動することです。

人間の体はそうやって強くなっていきます。

強い選手を目指すのであれば、まずはこの自己治癒力を鍛える、そんな意識を持ってこの季節を乗り切ってほしいと思います。


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