2010年1月31日日曜日
距離感(1887)
よく私は「子どもたちとの距離が近い」と言われます。
これにはいろいろな意味があります。
ひとつは、子どもたちの年齢に関わらず、コミュニケーションが取れるということです。
子どもとのコミュニケーションをうまくとるには、「子どもの目線で」とよく言われることですが、それがうまくやれると距離が近くなります。
子どもたち前で「馬鹿がやれる」のは特技かもしれません(時々過ぎてしまいますが・・・)。
もうひとつは、「子どもたちのために動く」ということです。
自分の子どもでもないのにちゃんと面倒を見ます。
自分の本当の子どもよりも面倒見はいいかもしれません。
それはそれで問題ですが、子どもたちとの距離を縮めるには大切なことだと思っています。
「他人のために動く」ことは面倒なことです。
でも見返りを期待せずに動くことで距離は近づきます。
そういう考えで指導しているので、「距離が近い」と言われます。
これが私の「距離感」です。
コーチなので、ある程度はコントロールしなければなりません。
そこはきちんと距離をとって指導しているつもりです。
メリハリをつけるのは簡単ではありませんが、なあなあになっては指導はできません。
長いこと子どもたちを教えてきて、私なりに身に付いた「距離感」は、実は私にとって心地良いものです。
人間には「コンフォートゾーン」があるそうです。
「自分が心地良いと感じる人との距離」という意味です。
私は子どもたちと「自分のゾーン」で接することができているということですね。
よく年をとると何でも許してしまってなあなあになってしまうと言われます。
孫にはとても甘いおじいちゃんということですね。
最近はちょっとその傾向が見られますが、できるだけそうならないように、自分の「距離感」を大切に指導していこうと思います。
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2010年1月30日土曜日
ストレス(1886)
久しぶりにテレビを見ました。
杉山愛選手が出ていたのを目に止めたからで、テーマは「ストレス」でした。
日本人は遺伝的に不安を感じやすい、つまり、ストレスを感じやすい人種だそうです。
それゆえに「癒しの文化」を育んできたということらしいです。
試合に負けて泣く、というのも自分自身に対する「癒しの文化」かもしれませんね。
また、日本人は「ストレスを感じない」と言われると残念がる傾向が強いそうです。
それは「耐える文化」」もあるからだと分析されていました。
ということは、本来「耐えること」に美意識を持っているということです。
だとしたら、その意識を高め、「耐えること」を武器に変えることはできないものかと考えてみました。
つまり、ミスショットをした、ミスジャッジされた、ダブルフォールトをした、などのストレスを強く感じる状況で、どうやって「耐えるのか」を考え、「耐えている自分は美しい」と感じてみるはどうだろうか、ということです。
ミスをしてしまった自分は悪い、いけないものと捉えてしまうと自分を見失うかもしれません。
でも、そんな苦しい状況に「耐えている自分」に焦点を合わせて、それを素晴らしいと感じようとしてみることです。
マイナスの感情に縛られることは少なくなると思います。
そうすると、ストレスが自分の力を引き出してくれるかもしれません。
短期のストレスは体にも良いらしいです。
免疫力を高めるなどの効果があるらしいですが、スポーツパフォーマンスを引き出す効果もあるかもしれません。
ストレスに対して、前向きに対処しようとすることでも免疫力は上がるということです。
前向きに行こうぜ!
くよくよするな!
ポジティブに考えて行けよ!
と考えることはやはり良いということですね。
本当のところは良く分かりませんが、そう考えた方が楽しくテニスができます。
スポーツは苦しいことの方が多いけど、できるだけ楽しくしようとする試みは大切だと思います。
ストレスを発見したハンス・セリエ博士は、
「ストレスは人生のスパイスだ」
と言ったらしいです。
ん~、・・・・・私はストレスをあまり感じてはいない・・・と思います。
あまり日本人っぽくないのかな?
でも、最近熱帯魚の飼育を始めました。
魚を見ていると癒される気がします。
やっぱりストレス感じているのかもしれませんね。
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2010年1月29日金曜日
ストレッチトレーニング(1885)
冬の寒さで固くなってしまった時に効果的なトレーニングはストレッチです。
ストレッチは、単なる準備運動とは違います。
柔軟性が高まることは誰でも分かります。
身体への負荷が少なく、苦しいトレーニングではないので、習慣化しやすいことも分かります。
でも、ストレッチをすることで筋機能が向上することはあまり知られていません。
実は、ストレッチをするだけで簡単に筋力が向上します。
座ったままでも持久力を向上させることができます。
いろいろなセミナーで実演してみると、みなさん驚かれます。
ストレッチをすることは単に筋肉を伸ばすということだけではないんですね。
筋肉は知らないうちに固くなったり、機能が衰えています。
それを元に戻すためにストレッチは大変効果的なトレーニングだということです。
特に冬は筋肉の気のが衰えがちです。
せっせとストレッチをして回復をはかりましょう!
お前もやれって?・・・その通りです。
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2010年1月28日木曜日
冬の体(1884)
冬のレッスンは大変疲れます。
たくさん着て、動きも少ないので夏に比べると楽かと思うかもしれませんが、冬の方が断然疲れます。
これは寒さに体がまいらないように、筋肉を動かして体温を高めたり、筋肉を固くして体温を外に逃がさないようにするためです。
筋肉は一生懸命に働いているということですね。
それが長時間続くと、筋肉は疲労し、それが大きな疲労感となって残るということです。
夏は逆に、緩んで体温の上昇を抑えなければならないので、筋肉はリラックスしているということです。
じゃあ、冬でも適度に体を動かして、リラックスできる状態まで筋温をあげてやればいいということですが・・・その通りです。
でも・・・寒いから丸くなるのは動物としての習性なので・・・。
やっぱ、夏がいいなあ!
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2010年1月27日水曜日
指導者の眼を信じる(1883)
強くなるには、よい指導者にめぐり合うことがとても大切だ。
しかし、なかなか自分に合う優れた指導者に出会うことはむつかしい。
どのような指導者が優れているのかを一言で言うことはできないが、斎藤孝(同)が、その著書の中で、室伏重信先生のコメントを紹介しているので、少々長いが、引用してみたいと思う。
「指導者の<コメント力>は、選手を見る眼力にかかっている。ハンマー投げでアジアの鉄人と言われた室伏重信が息子の室伏広治の指導をしているときの意識は、研ぎ澄まされている。余計な言葉がはさまれる余地のない沈黙が、場を支配する。室伏重信は、ひたすら見つめる。そして、こう言う。「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目なのです。思ったことを未消化のまま言うことはあってはならない。技術は、日によって、時間によって、ハンマーにおいては一本一本変わるのかもしれない。それくらい繊細なものの中で安定を築くのです。しっかり見極めねばならないのです。」(「ナンバー」472号)
彼にとっては、指導とは「静観すること」だ。しかし、「静観とは見るだけではない。見て、チャンスを待つという意味です。仮に選手が間違った動きをしていても、それが後にどういう形で技術に効いてくるのか、これは瞬時にダメだと判断できないからです。何を、いつ言うのか、そのタイミングを待つ」(同)のである。
そのタイミングとは、選手本人に潮が満ちるように課題が見えてきたときだ。それまで自分から話すことはない。「自分からハンマーの話をしたことは一度もない。一方、選手本人が何かを聞いてきた時には、すべてを答えてやらなくてはなりません。(そうしたアドバイスのチャンスが来るまでは)仮に1年かかったとしても待ちます。指導者として問われるべきは、私自身が、いかに適切な準備をし続けているかなのです」(同)と言う。」
このような姿勢で指導に臨んでいる指導者はそう多くはないかもしれないが(私も志してはいるが、自分の未熟さを痛感するばかりである)、少なくともあなたの問いかけに対して、あなたが納得できる答えをいつでも示すことができる指導者でなければ、あなたの力を引き出すことはできない。
また、試合会場で、真剣に選手の試合を見続けている指導者を選択するのもよい方法だと思う。
多くの指導者は、「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目」であることを忘れている。
「見る」、ことは指導者として「適切な準備をし続けている」ことの証しなのだ。
その証しをきちんと示すことができている指導者は、きっと優れた感性であなたを導いてくれるに違いない。
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2010年1月26日火曜日
自分の世界に浸る(1882)
雰囲気を変えてしまうぐらいの力を持った選手はそうはいないので、どのような状況でも集中力を高めることが出来るような訓練をすることのほうが実際的なのかもしれない。
メンタルトレーニングの世界では、じつに様々な方法が提唱されているので、それらを色々と試してみて、気に入った方法を実践すればよいのである。
私は、実際的なメンタルトレーニングとは違うが、「自分の世界に浸れる時間」を大切にすることをお勧めする。
一流選手が、ヘッドフォンでお気に入りの音楽を聴きながらリラックスしている場面をよく目にするが、音楽や映画に感情移入して、どっぷりとその世界に浸り、時間を忘れるのはとても脳のためにもいいらしい。
もちろん、練習や試合の前にそうした音楽などを聞くことで集中力は高まる。
私の場合、落ち込んだりしたときにふっと頭に浮かぶ音楽がある。「カントリーロード」がそれだ。
アメリカにいたとき、言葉も通じず、離れて暮らす子供のことが思い出されて悲しい気持ちになったときなどは、いつもこの曲を聴いていた。
そうしたことがこころの安らぎを生んだという経験が強く染み付いているので、なにか嫌なことがあったりすると、自然反応的に頭に浮かんでくるのである。
これを専門的には「不安軽減の強化」というらしいが、不安や恐怖に襲われたとき、ただ呆然と立ち尽くすのではなく、自分の心地よい居場所を作り出すことで、うまくやっていけるような気になるはずである。
私は、そうした心地よい場所や時間を持つことで、ひどく落ち込まずにがんばっていられるような気がする。
そして、「自分の世界に浸っているとき」はとてもよい表情になり、きっと自分のまわりに良い雰囲気を作り出していることだろう。
そのようなよい雰囲気を持続的に保ちながら練習や試合にはいっていくことで、よい集中力が生まれるはずだ。お試しあれ。
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2010年1月25日月曜日
場を作る力(1881)
強いチームを指導していていつも思うことは、「良い雰囲気を持ったチームは強い」、ということである。
傑出した選手がいなくても、チームとしての「雰囲気」を高めることで、そのチームとしての力を最大限に引き出し、強くなれることを教えてくれる。
山下富美代(「集中力」講談社現代新書)は、
「意欲を中断することなく集中力を持続させる状況づくりが大切である。」と言い、
斎藤孝(「「できる」ひとはどこがちがうのか」ちくま新書)は、
「私たちの身体は、場の雰囲気の影響を受けやすい。」
と言っている。
また、長田一臣(「勝者の条件」春秋社)は、
「心が大事というのはいいけれど、すべてを揺さぶるものは「場」です。「場」が全部を揺さぶるわけです。」
と述べている。
これらは、場の雰囲気や状況が、メンタルだけにとどまらず、人間の能力にとても大きな影響を与えることを示している。
できるだけ自分の集中力や意識が高まるような状況を作り出すことが大切なのである。
もしできるのであれば、そういう雰囲気を作り出すことができる選手と練習やトレーニングをすることだ。
その選手がコートで練習を始めると、まわりの雰囲気がガラッと変わって、高い緊張感に包まれるような選手がいる。
そのような選手と練習していると、知らず知らずのうちにその雰囲気に融合し、自分でも信じられないくらいの集中力を発揮することもある。
逆に、まわりの雰囲気を乱し、他の選手の集中力を阻害してしまうような選手も多い。
そうした選手がトップで練習しているクラブは、他の選手にとって心地よく集中できる雰囲気を作り出すことは大変にむつかしい。
トップになる選手は、高い実績を誇っているので、クラブとして手放したくないという事情もあるだろうが、本当に強いクラブを作りたいのなら、こうした選手には出て行ってもらう方が良いだろう。
それくらいの決断ができないようでは、他の強くなる資質を持った子の才能を伸ばすことはできはしない。
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2010年1月24日日曜日
話術(1880)
もうひとつの質問には、「先生の話術はどうやって学んだんですか?」というものがありました。
あちこちセミナーの講師として呼ばれるので、そこそこ話はうまい方なのかなとは思いますが、自分では良く分かりませんね。
特にこれといって学んだということもありません。
ただひとつだけ心掛けていることは、相手に身になって考えるということです。
伝えるということは、ただしゃべれば良いというのとは違います。
気持ちが伝わるとか、思いが分かるというような点で納得してもらうということです。
ということは、まず自分がそういう気持ちになっていないと絶対に無理ということです。
私は一昨年から大学の講師として復帰しましたが、(子どもたちに教えるのと)同じような気持ちで教えることを心掛けています。
よく講師控室などで、「学生の聞く気がないのには困ったものだ。」と嘆いている先生がいます。
「本当かあ?」と突っ込みを入れたくなります。
確かに聞く気のない学生が多いのは事実ですが、その気をどうやって引き出すのかが大切だと思うのです。
ある程度の強制も必要です。
だけど、何よりも大切なことは、「聞いてもらえるにはどうしたら良いのか」を考えることだと思います。
残念ながら、話のうまい先生は少ないです。
それは、「自分の話をすること」に気持ちが向きすぎているからです。
大学の授業なので、専門的な知識をその気を持って聞くということは大事ですが、伝えるという技術については考えなくてはなりません。
自分の技術がどれほどのものなのかは良く分かりませんが、こういう質問があるということは、少なくとも何人かは興味を持って聞いてくれるということです。
基本的におしゃべりである、という性格も話し上手になるためには必要なのかもしれませんね。
でも、人の言うことを聞かない、とか自分で勝手にしゃべるというのも良く言われることなのでしゃべりすぎには注意します。
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2010年1月23日土曜日
クセを治す(1879)
最後の授業のレポートで、学生さんに「授業の感想ならびに質問などあったら書いてください」とお願いしたところ、いくつかの質問が寄せられました。
その中に、テニスのコーチをしている学生さんから、「どうやってクセを治せばいいですか?」という質問がありました。
確かにこれは少し難しい問題ですね。
まずは、できるだけ余分な動きを少なくすることです。
私は、テニスはできるだけ「腕を使わないようにスイングすること」を指導する場合が多いです。
以前、ジャーナルには、
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悪いクセは、シンプルに矯正することができる。
そのポイントを解説していこう。
●胴体の回転動作で打つ
手を使わずに打つとすると、どのような動きでボールを打てば良いのかを考えてみよう。
筋力が弱く関節の自由度が大きな腕を大きく使ってスイングするとラケット面が崩れやすく、安定した打球にならないので、できるだけ手を使わずに胴体の回転運動でボールを打つことが基本となる。
ラケットと腕をひとつの「ユニット」として胴体の回転運動でスイングすることを「ユニットターン」などというが、胴体は腕ほど簡単に大きくは動かないので安定した動きを作り出すことができる。
「ユニットターン」では、動きの中心が胴体にあることから、腕がリラックスし、いつも同じ動き、誤差の少ない動きで打つことができるため、ミスが少なくなる。
また、胴体の回転運動で打つもうひとつのメリットは、インパクトの衝撃力に対して強いということである。
腕だけで打とうとして、インパクトの瞬間にグリップがその衝撃に負けてずれたりした経験はないだろうか。
相手からの強打を受けた場合、腕だけで打とうとすれば衝撃も強く、打ち負けてしまうが、「ユニットターン」を使い、胴体の回転運動で打てば腕の筋力はスイングすることには使われずに、インパクトのときにラケット面を把持することだけに使うことができるので、少々の強いボールに対しても打ち負けることはない。
***************************************************************
と解説しました。
これもひとつの方法です。
しかし、自分のスイングをイメージできないと実践することは難しいですね。
そういう場合は、ビデオなどで自分のフォームを見ることがお勧めです。
誰が何と言おうと、そこに映っているのは自分のフォームですから、客観的に見ることができます。
あんまりひどいフォームなので卒倒しないようにするなどの注意が必要です(笑)。
まずは自分のフォームを確認して、それをどう変えていくのかというイメージをしっかりと持つことです。
人間の脳は、しっかりとイメージできたことは、それが実際に起こっていることなのか、空想の中なのかを判断できません。
つまり、しっかりとイメージできるということは、実際に自分の体を動かしているのと同じような反応があるということです。
これは効果的な方法です。
しかし、体がイメージ通りに動かないことの方が多いはずです。
そういう時は、体の柔軟性を高めることです。
ストレッチは上達のためには必須のトレーニングになります。
特に、股関節と肩関節の柔軟性の向上は直接技術と関係しますので、しっかりと取り組んでほしいですね。
まとめてみると、まずはしっかりとしたイメージを持つこと、そして柔軟性の向上が大切であること、身体に無理のないシンプルなスイングを身につけることです。
特にコーチを目指す場合は、示範を的確に示す必要がありますので、常に自分のフォームをチェックしておきたいですね。
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2010年1月22日金曜日
指導力(1878)
優れた「指導力」を持っている方ほど、自分の「指導力」に対していつも「謙虚」な態度でいます。
子ども達が思うような成果が上げられなかったり、思い通りのプレーができない時には自分の「指導力」のなさを嘆きます。
いつも、そういう態度で接しているから徐々に指導の成果があがってきます。
「それ」を忘れないように教えていきたいと思っています。
ところで、「指導力」と一言で言いますが、「指導力」があるということはどういうことだろうかと良く考えます。
成果が上がることで評価されるべきものであるとは思いますが、そこに至るまでにどういう「力」を発揮すればよいのかは大変気になります。
私が考える「指導力」とは、まずは指導する人としての「雰囲気」がある、ということです。
時間にルーズだったり、服装が不潔だったり、言葉使いがあまりにも乱暴だったり、指導する人間としてふさわしくない態度や行動をできるだけ(このできるだけは、一般的に見てできるだけと評価できるものでなければならないと思います)しないように心がけなければならないと思います。
次に大切なのは、「忍耐力」がある、ということです。
人は何度も失敗します。スポーツでは挫折することの方が多いものです。
思い通りに成長しないことも多く、態度や行動が気に入らないことも日常的にあります。
そうなると指導する気力が失われていきます。
それでも、子ども達がそのスポーツを続ける限り、指導することをあきらめない強い「忍耐力」が必要です。
必要であれば何度でも話をします。
同じアドバイスを繰り返します。
これは「忍耐力」の要る仕事です。
でも、子ども達は自分の言ったことを「覚えていない」と考える方が普通です。
忘れてしまって、同じミスを繰り返すのが当たり前です。
そのことを忘れて、「前にも言っただろう」と思うのは指導者の「エゴ」です。
そして、向上する「意欲」を失わないことです。
テニスの指導に関してはたくさん勉強してきました。
理論派の私としては、できるだけわからないことはないように多くの学問分野の情報を集めるように努力しています。
しかし、それでも分からないことはたくさんあります。
自分の経験や理論では理解できないことにもたくさん遭遇します。
それだけスポーツはむつかしいということですね。
というよりも人間を扱うことがむつかしいということです。
だから、いつでも「知ろうとする意志」を持ち続けなければならないと思います。
興味、関心、好奇心が大切であると書きましたが、これは指導する立場にある人ほど大切なことです。
その気持ちを忘れずに指導していれば、きっと「感動」があります。
その経験が強い指導者に育ててくれると思います。
強い選手を育てたければ、自分自身が強くなるために努力する姿勢を失わないこと、これが一番大切かもしれません。
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2010年1月21日木曜日
「謙虚」であることの強さ(1877)
野球の名門校は、それこそ中学時代は4番でピッチャーのエリートばかりが入学を希望してくる。
しかも、愛工大名電高校野球部では、そんなエリートの中で10人に1人程度しか入学を許可されない、大変な狭き門なのである。
だから、それぞれの選手は大変「プライド」が高い(ここでは単に「自己顕示欲」という意味で)。
そして、その「プライド」が邪魔をして、ときには自己中心的な振る舞いや、自分を追い込むことに対する「ごまかし」などが横行するときもある。
私は、このチームを直接率いているわけではないので、そんなときでも「私は、君たちに必要なことは教える。それをやるかやらないかは君たち次第だ。」といつも言い続け、決してそれを非難したり、是正したりしないようにしている。
そして、「自分はやっています!」と大きく主張はするが、実際にはやっていないだろうと思われる選手に対しては、「思い」はかけないようにする(だって、そんな選手に思いをかけても虚しいだけでしょ)。
彼らは、そう主張すれば、自分たちを評価してくれるだろうと思っているかもしれないが、「プロの眼」から見れば、どれくらいのトレーニングを積んでいるのかは、一目見れば大体わかる。
まあ、「プロ」としては、大体では困るので、練習の状況を良く観察したり、「どうだ、調子は?」とか言いながら、肩を叩いたり、背中を叩いたりしながら、筋肉の状態を確認したりする。
女の子に、あまり頻繁にこのような行為をすると、セクハラを疑われそうであるが、その点、男の子は安心である(危ないこともあるかも?)。
例年は、そのような「謙虚でない」選手が何人かいて、しかも、その選手が主力だったりすると、そういうチームは大変指導しにくい、というか、「思い」をかけにくいので、同じ時間を指導しても大変疲れるものだ。
今風に言うと、「ムカつく」時も多い(決して怒りはしませんが…)。
ところが、最近のチームは誰一人として、そのような選手は見当たらない。
それどころか、トレーニングに対しての知識を深めようと私に何度も質問したり、トレーニングの指導が終わってから、自分の課題について納得するまで確認したりする選手が多い。
だから、指導する側としては大変「楽なチーム」であるといえる。
じつは、これが彼らの「強さ」であり、多くのスポーツ選手が学ばなければならない「資質」である。
人間は、誰も完璧ではない。
「足りない何か」を感じているから、それを「謙虚」な気持ちで求めていかなくてはならないと思うのだが、少しの成果で有頂天になり、「謙虚さ」を忘れて、自己中心的な振舞いをする選手は大変多い。
このような選手は(もちろん指導者も)、きっと自分の人生において、感動する機会は少ないだろうと思う。
自分の持っている力を最大限まで引き出すことはできない。
私の尊敬する指導者に、ハンマー投げの室伏重信先生がいる。
知っての通り、室伏広治選手の父であり、コーチでもある人だ。
彼は、まさに求道者である。
どんなときでも、自分の投法には満足せず、いろいろな情報を得るために、積極的に実験にも参加されて、自分の投法を完成させ、飛距離を伸ばすためにはどうしたら良いのかを常に考え続けた人だ。
もちろん、今も考え続けているだろう。
先生と話をすると、つねに「謙虚」に自分に足りないものを探し続けることの大切さを確認できた。
「足りないから努力する」、という当たり前のことを実行し続けた人だからこそ、誰もが彼の言葉に感嘆するのである。
自分の信じることを納得するまでとことんやりきるには、「謙虚」でなくてはならない。
「謙虚」であることは、「弱さ」ではなく、「弱さを知ることから生まれる強さ」を引き出すためのキーワードである、そんなことをトレーニングを指導しながら考えていた。
私は、そんな「強さ」を持った選手を探しているのかもしれない。
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2010年1月20日水曜日
ブレークスルー(1876)
プリンスのコーチセミナーで東京まで行ってきました。
こういうセミナーでは何を話そうかと直前までいろいろと考えます。
なかなかアイディアが浮かばない時もありますが、パッとひらめいて、話がスラスラ作れる時もあります。
今回もあれこれ考えていて、私のテニスエルボー(厳密にはちょっと違いますが・・・)の話から、この突然のひらめき、ブレークスルーについて話をしたらどうだろうかとひらめきました。
そうひらめいたのが夜中の1時ぐらいでしたので、あれこれ出てくるアイディアをノートに書いていきます。
こういう時は、本当に不思議なぐらい次々と考えが浮かびます。
脳の中の回路がつながっていくかが分かるようです。
実際にもそのようなつながりができていきますが、これは身体的な活動でも同じで、このような身体的なひらめきによってブレークスルーがおきます。
そういう不思議なことが人間の体には起こるということを伝えたかったのですが、どうだったでしょうか。
そして、このようなブレークするが起こるために、私たちコーチはいろいろなきっかけを与えていくのが仕事になります。
それは、タイミングの良いアドバイスで合ったり、練習方法の工夫で合ったり、うまいコミュニケーションだったりします。
ブレークスルーが起こるための条件として、ストレスがありますので、本当は少し追い込んでいく必要があるのですが、そのストレスに耐えられることができない場合はやめてしまうこともあるわけで、継続させるという大切な仕事のためにはそういう方法を選択できないことは多いです。
だから、あれこれ工夫してきっかけを与え続けていく必要があります。
結構面倒な仕事ですが、人間の体の不思議を知って、大いなる興味を持って仕事を楽しむ、そんな気持ちで取り組んでいけたらいいのではないかと思います。
短い時間のセミナーでしたが、少しでもお役に立てたのであれば幸いです。
ありがとうございました。
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2010年1月19日火曜日
治癒(1875)
今日は不思議なことがありました。
肘がずっと痛かったのですが、突然治癒しました。
昨日の練習で、少し痛みが引いたこともあって、少し打ってみました。
痛くてとても打てるものでありませんでしたが、打ち方を少し工夫すれば何とか打つことができたのでしばらく試してみました。
これで治ることを期待したわけではありませんが、少しテニスの動きに慣れさせないと、という気持ちでやりました。
家に帰ってきても肘の痛みが残っていましたが、違和感のようなものが薄らいでいると感じたので、しっかりと風呂でマッサージをします。
風呂からあがって少しアイシングです。
この時、腕の感覚はかなり良くなっていました。
そして、今日、練習の時に腕の感覚を探ってみると、ほぼ元通りです。
痛みがある時は、腕は細くなっています。
左手の太さと比べても、右の方が若干細いです。
それが、突然、元通りの腕の太さに戻っています。
腕の太さを握り比べてみるとはっきりと分かります。
そんな馬鹿なと思うでしょうが、これは現実です。
人間の体は、とても不思議なことが起こります。
痛くて仕方なかったものが、突然治癒する事はよくあります。
今までうまくいかなかったことが、ある時突然にうまくいってびっくりします。
ほんの少しのバランスの崩れが修正されることで、人間が本来持っている状態に戻っていきます。
それをサポートするのがトレーナーとして役目です。
多くの人の体を触っていると、それが良く分かります。
筋肉の張りやバランス、歪みのようなものも何となく分かります。
それをうまく調整してやることで、本来の機能を取り戻します。
実は本来の機能を失っていることに気付かないことが多いものですね。
それに気付いてもらって、うまく調子を整える、そんな仕事をこれからもしていこうと思います。
まあ、肘の方も治癒したと言っても、まだ筋力レベルは落ちているので、少しづつケアしながら調整していこうと思います。
治ったことは子どもたちには内緒でお願いします。
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2010年1月18日月曜日
チャレンジ(1874)
今年の春にオーストラリアにテニス留学をする子があいさつに来てくれました。
不安はありますが、自分の可能性に賭けてみたいという衝動のようなものを抑えられないように感じられました。
この春にアメリカに留学する子もいます。
新たに寮での生活を始める子もいます。
子どもたちは大きな夢を持ってチャレンジすべきです。
チャレンジには不安や恐怖はつきものですが、自分が何をしたいのか、というプライオリティが明確であればそれを超えていきます。
それがあいまいだと余計に不安は大きくなったりします。
一度しかない人生です。
自分に何ができるのかを確かめてみるのはとても良いことです。
そして、そういう経験をすれば、人生の岐路でも思い切ってチャレンジすることができます。
それが人生を良い方向に導いてくれます。
私もそうでした。
今もチャレンジしているつもりです。
子どもたちには私以上にもっともっと大きなチャレンジをしてほしいと思います。
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2010年1月17日日曜日
仲間とめぐりあう(1873)
私は、「ライバル」といえる存在にもめぐり合うことができたし(そいつは今でも私のライバルである)、お互いに励ましあう「仲間」にもめぐり合うことができた。
「仲間」とは、単なる友人ではなく、「こいつらのためなら何でもやってやるぜい!」と思える強い仲間意識で結ばれた友人関係である。
「過去の栄光会」という変な会がある。
これは、私の世代と一つ下の世代で、高校時代に全国大会などに出場するなどの輝かしい栄光(?)を持つものたちの集まりである。
この会を始めて20年以上になるらしい(誰もはっきりとその開始を覚えてはいない)。
それほど活発に活動しているわけではないし、また、会っても昔の話をするだけで発展的な会話などないのだが、これが実に楽しい。
そう、我々は確かにその時、青春時代を送っていた(もちろん、今も.....)。
何もかも忘れてすべてをテニスに賭けていた、そうした「仲間」たちなのだ。
試合ではもちろん戦う「ライバル」ではあるが(試合中に相手をののしることなども時にはあった)、コートを離れればよき友人として、ときには恋人として強い「仲間意識」で結ばれていた。
テニスを通した素晴らしき「仲間」の集いなのである。
そんな会の中でこんな話が出た。
「今のジュニアの子達は、こうして何年か経って集まり、テニスをやり、昔の話に花が咲き、年甲斐もなくわいわい騒ぐ(私だけか....)ことがあるだろうか」と。
ん~、これは難しいかもしれない。
彼らがテニスを一所懸命にやっていることは認めるが、テニスを通して強い「仲間意識」で結ばれているとは思えないからである。
我々の時代とはテニスをやる環境が違うし、社会的な環境も違うので良い悪いを言うつもりはないが、「仲間」がいること、これは何ものにも変えがたい素晴らしき財産であると思う。
「素晴らしき仲間」、私はこれさえ手に入れることができれば、きっとすべてはうまくいく、きっと充実した人生を歩むことができると信じて疑わない。
梶原しげる(「口のきき方」新潮新書)は、
「今の日本の若者の多くが「本人がよければ本人の自由でよい」と思う傾向があることが気になります。「本人の自由」とは、他人の自由を尊重しているようで、実は、他人に無関心なだけなのではないでしょうか。関心の中心は常に自分。自分以外への無関心や、他人との親密な関係を「うざったい」と感じてしまう、対人関係の未成熟さの現われが「本人の自由」などというわけ知りな言葉を口走らせるのではないかと、電車の中の化粧に精出す女の子達を見て心配しております。」
と言っている。
他人に無関心で本当の「仲間」が見つかるとは到底思えない。
他人と親密な関係を持つことで、自分のこともいろいろと見えてくることが多いものだ。
それは「自分自身を高める」ことに他ならない。
「仲間」は、それほどまでに尊いものであることを子どもたちにわかってほしいと心から思う。
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2010年1月16日土曜日
ライバルを持つ(1872)
「先達」と同様に「自分を高めてくれる存在」として、「ライバル」の存在を忘れてはならない。
相撲の世界では、栃若や柏鵬など、両雄並び立つことでその技量を高め、素晴らしい技の極地に達することができるといわれている。
「ライバル」とは単に倒すべき目標ではない。
その存在を認め、自分にはない高い技量や精神力を敬い、それを超えるべく努力する気にさせるような尊い存在である。
もちろん、自分だけが「ライバル」と認めたのでは意味がない。
お互いにその存在を認め合ったときにはじめて、「ライバル」ということができる。
よく、今は大きく成長した選手に対して、「昔、俺たちはライバルだったのさ。競った試合を何度もやった。」と過去の経験を大げさに語り、さも「ライバル」であったかのようなことを言う奴を見かけることがあるが、みっともない話である。
こういう奴は、彼らと戦ったという経験が自分の価値を高めてくれるだろうことを期待してこのような行動をとる。
その人の栄光を自分に反映させて、自分は価値ある存在であることを認めてもらいたがっているのである。
これを後光効果(ハーロー効果)というが、そんなことで価値が高まるはずがないことをそろそろ気づいてもらいたいものである。
「こいつにだけは負けたくない」とお互いに(ここが肝心)心から思える(憎しみの心なしで)存在があれば、あなたは成長をやめようとすることはない。
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2010年1月15日金曜日
レポート(1871)
私の講義では毎回授業の初めにレポートを書いてもらいます。
それは、「自分で考える」習慣を身につけてもらいたいからです。
もうひとつは、楽に授業できるからです(笑)。
今日は最後の講義だったので、学生さんに授業の感想を書いてもらいましたが、このレポートは概ね好評のようです。
自分で考えて、それを実際に書いて残すということをあまりやらなくなっています。
授業は運動プログラミングについてなので、実際にプログラムを作成することを目的としています。
学生さんはいろいろな講義を受けているので、知識はあります。
でも、知識があって、頭の中で考えているだけなので、実際に使えるプログラムを作成できません。
それを、強制的とはいえ、それを実際に書いてみることで自分のアイディアや考え方が明確になります。
それを狙っています。
なかなかしっかりとしたプログラムを書いてくる人もいれば、これはちょっとという人もいますが、指導する立場になった時、きっと役に立つと思います。
また、レポートは双方向通信の役割もします。
単に授業をするだけでは学生さんの考え方や意見は分かりません。
私の一方的な考えを押しつけてしまう講義になるかもしれません。
それを防いで、うまく意志の疎通ができるようになればと思ってやっています。
寮生に毎日の練習レポートを書かせるのもそうです。
あまり変化がない練習の中にも、気付きや変化があります。
私の気付かない「思い」というのもあります。
それを確認するためにレポートは大変大切です。
面倒です。
でも、それをやり続けていると、何か見えてくる、何かがつながっていく・・・そういうものです。
講義の感想のレポートは、うれしいことばかり書いてあります。
お世辞かもしれません。
でも、その言葉が心地よく響いています。
教えることの喜びはこういうところにもあるものなんですね。
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2010年1月14日木曜日
先達に学ぶ(1870)
悩んでいるときは、誰かにすがりたくなったり、話を聞いてほしいと思うこともあるだろう。
「悩み」や「葛藤」は、自分ひとりで解決できないことも多いし、落ち込みがひどく冷静に考えられないときや、自信が揺らいで「迷い」が生じるときには、「先達」の智恵に頼ることが良いと思う。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、
「先達は、自分にとって道の方向を照らしてくれる存在である。そうした道案内がいるかどうかで、上達の速度は格段に変わってくる。よい先達を得る努力をせず、また自分自身の才覚で道へのヴィジョンを立てることもできなければ、上達をやめてしまうことにもなる。先達は、こうした思い上がりを防いでくれるだけには留まらず、上達への不要な不安をも取り除いてくれる。」
と言っている。
ひとりですべきことをきちんとすることはとても大切なことで、それなくして大成することはないのだが、ひとりでできることには限度があるのも事実だ。
限界を感じたとき、「先達に学ぶ」ことで、それを超えられることも多い。
私は今まで、フェド監督の小浦猛氏、元フェド監督の本井満氏、現フェド杯監督の植田実氏、安田女子大学教授の友末亮三氏、竹内庭球研究所の竹内映二氏、亜細亜大学テニス部監督の堀内昌一氏、名古屋高校テニス部監督の宮尾英俊氏、湘南スポーツセンターの笠原康樹氏など、多くの方から本当にたくさんのことを学ばせてもらった。
彼らの存在がなければ、きっと今コーチとしての道は歩んでなかったであろう。
それほど大きな影響を受け、自分の力となっているのだ。
これらの人たちに共通するのは強烈なリーダーシップを持っているということだ。
たとえて言うと、スタートレックのカーク船長のような存在だ(わかるかな?)。
まわりにいるものをぐいぐい引きつける強烈な個性と、強い信念に従って行動することができる。
自分にないもの、自分よりも優れたものを持っている人には惹きつけられるものだ。
一度会いに行き、話をするだけで良いだろう。
きっとその魅力のとりこになるに違いない。
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