2010年1月20日水曜日

ブレークスルー(1876)



プリンスのコーチセミナーで東京まで行ってきました。

こういうセミナーでは何を話そうかと直前までいろいろと考えます。

なかなかアイディアが浮かばない時もありますが、パッとひらめいて、話がスラスラ作れる時もあります。

今回もあれこれ考えていて、私のテニスエルボー(厳密にはちょっと違いますが・・・)の話から、この突然のひらめき、ブレークスルーについて話をしたらどうだろうかとひらめきました。

そうひらめいたのが夜中の1時ぐらいでしたので、あれこれ出てくるアイディアをノートに書いていきます。

こういう時は、本当に不思議なぐらい次々と考えが浮かびます。

脳の中の回路がつながっていくかが分かるようです。

実際にもそのようなつながりができていきますが、これは身体的な活動でも同じで、このような身体的なひらめきによってブレークスルーがおきます。

そういう不思議なことが人間の体には起こるということを伝えたかったのですが、どうだったでしょうか。

そして、このようなブレークするが起こるために、私たちコーチはいろいろなきっかけを与えていくのが仕事になります。

それは、タイミングの良いアドバイスで合ったり、練習方法の工夫で合ったり、うまいコミュニケーションだったりします。

ブレークスルーが起こるための条件として、ストレスがありますので、本当は少し追い込んでいく必要があるのですが、そのストレスに耐えられることができない場合はやめてしまうこともあるわけで、継続させるという大切な仕事のためにはそういう方法を選択できないことは多いです。

だから、あれこれ工夫してきっかけを与え続けていく必要があります。

結構面倒な仕事ですが、人間の体の不思議を知って、大いなる興味を持って仕事を楽しむ、そんな気持ちで取り組んでいけたらいいのではないかと思います。

短い時間のセミナーでしたが、少しでもお役に立てたのであれば幸いです。

ありがとうございました。


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2010年1月19日火曜日

治癒(1875)



今日は不思議なことがありました。

肘がずっと痛かったのですが、突然治癒しました。

昨日の練習で、少し痛みが引いたこともあって、少し打ってみました。

痛くてとても打てるものでありませんでしたが、打ち方を少し工夫すれば何とか打つことができたのでしばらく試してみました。

これで治ることを期待したわけではありませんが、少しテニスの動きに慣れさせないと、という気持ちでやりました。

家に帰ってきても肘の痛みが残っていましたが、違和感のようなものが薄らいでいると感じたので、しっかりと風呂でマッサージをします。

風呂からあがって少しアイシングです。

この時、腕の感覚はかなり良くなっていました。

そして、今日、練習の時に腕の感覚を探ってみると、ほぼ元通りです。

痛みがある時は、腕は細くなっています。

左手の太さと比べても、右の方が若干細いです。

それが、突然、元通りの腕の太さに戻っています。

腕の太さを握り比べてみるとはっきりと分かります。

そんな馬鹿なと思うでしょうが、これは現実です。

人間の体は、とても不思議なことが起こります。

痛くて仕方なかったものが、突然治癒する事はよくあります。

今までうまくいかなかったことが、ある時突然にうまくいってびっくりします。

ほんの少しのバランスの崩れが修正されることで、人間が本来持っている状態に戻っていきます。

それをサポートするのがトレーナーとして役目です。

多くの人の体を触っていると、それが良く分かります。

筋肉の張りやバランス、歪みのようなものも何となく分かります。

それをうまく調整してやることで、本来の機能を取り戻します。

実は本来の機能を失っていることに気付かないことが多いものですね。

それに気付いてもらって、うまく調子を整える、そんな仕事をこれからもしていこうと思います。

まあ、肘の方も治癒したと言っても、まだ筋力レベルは落ちているので、少しづつケアしながら調整していこうと思います。

治ったことは子どもたちには内緒でお願いします。


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2010年1月18日月曜日

チャレンジ(1874)



今年の春にオーストラリアにテニス留学をする子があいさつに来てくれました。

不安はありますが、自分の可能性に賭けてみたいという衝動のようなものを抑えられないように感じられました。

この春にアメリカに留学する子もいます。

新たに寮での生活を始める子もいます。

子どもたちは大きな夢を持ってチャレンジすべきです。

チャレンジには不安や恐怖はつきものですが、自分が何をしたいのか、というプライオリティが明確であればそれを超えていきます。

それがあいまいだと余計に不安は大きくなったりします。

一度しかない人生です。

自分に何ができるのかを確かめてみるのはとても良いことです。

そして、そういう経験をすれば、人生の岐路でも思い切ってチャレンジすることができます。

それが人生を良い方向に導いてくれます。

私もそうでした。

今もチャレンジしているつもりです。

子どもたちには私以上にもっともっと大きなチャレンジをしてほしいと思います。


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2010年1月17日日曜日

仲間とめぐりあう(1873)



私は、「ライバル」といえる存在にもめぐり合うことができたし(そいつは今でも私のライバルである)、お互いに励ましあう「仲間」にもめぐり合うことができた。

「仲間」とは、単なる友人ではなく、「こいつらのためなら何でもやってやるぜい!」と思える強い仲間意識で結ばれた友人関係である。

「過去の栄光会」という変な会がある。

これは、私の世代と一つ下の世代で、高校時代に全国大会などに出場するなどの輝かしい栄光(?)を持つものたちの集まりである。

この会を始めて20年以上になるらしい(誰もはっきりとその開始を覚えてはいない)。

それほど活発に活動しているわけではないし、また、会っても昔の話をするだけで発展的な会話などないのだが、これが実に楽しい。

そう、我々は確かにその時、青春時代を送っていた(もちろん、今も.....)。

何もかも忘れてすべてをテニスに賭けていた、そうした「仲間」たちなのだ。

試合ではもちろん戦う「ライバル」ではあるが(試合中に相手をののしることなども時にはあった)、コートを離れればよき友人として、ときには恋人として強い「仲間意識」で結ばれていた。

テニスを通した素晴らしき「仲間」の集いなのである。

そんな会の中でこんな話が出た。

「今のジュニアの子達は、こうして何年か経って集まり、テニスをやり、昔の話に花が咲き、年甲斐もなくわいわい騒ぐ(私だけか....)ことがあるだろうか」と。

ん~、これは難しいかもしれない。

彼らがテニスを一所懸命にやっていることは認めるが、テニスを通して強い「仲間意識」で結ばれているとは思えないからである。

我々の時代とはテニスをやる環境が違うし、社会的な環境も違うので良い悪いを言うつもりはないが、「仲間」がいること、これは何ものにも変えがたい素晴らしき財産であると思う。

「素晴らしき仲間」、私はこれさえ手に入れることができれば、きっとすべてはうまくいく、きっと充実した人生を歩むことができると信じて疑わない。

梶原しげる(「口のきき方」新潮新書)は、
「今の日本の若者の多くが「本人がよければ本人の自由でよい」と思う傾向があることが気になります。「本人の自由」とは、他人の自由を尊重しているようで、実は、他人に無関心なだけなのではないでしょうか。関心の中心は常に自分。自分以外への無関心や、他人との親密な関係を「うざったい」と感じてしまう、対人関係の未成熟さの現われが「本人の自由」などというわけ知りな言葉を口走らせるのではないかと、電車の中の化粧に精出す女の子達を見て心配しております。」
と言っている。

他人に無関心で本当の「仲間」が見つかるとは到底思えない。

他人と親密な関係を持つことで、自分のこともいろいろと見えてくることが多いものだ。

それは「自分自身を高める」ことに他ならない。

「仲間」は、それほどまでに尊いものであることを子どもたちにわかってほしいと心から思う。


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2010年1月16日土曜日

ライバルを持つ(1872)



「先達」と同様に「自分を高めてくれる存在」として、「ライバル」の存在を忘れてはならない。

相撲の世界では、栃若や柏鵬など、両雄並び立つことでその技量を高め、素晴らしい技の極地に達することができるといわれている。

「ライバル」とは単に倒すべき目標ではない。

その存在を認め、自分にはない高い技量や精神力を敬い、それを超えるべく努力する気にさせるような尊い存在である。

もちろん、自分だけが「ライバル」と認めたのでは意味がない。

お互いにその存在を認め合ったときにはじめて、「ライバル」ということができる。

よく、今は大きく成長した選手に対して、「昔、俺たちはライバルだったのさ。競った試合を何度もやった。」と過去の経験を大げさに語り、さも「ライバル」であったかのようなことを言う奴を見かけることがあるが、みっともない話である。

こういう奴は、彼らと戦ったという経験が自分の価値を高めてくれるだろうことを期待してこのような行動をとる。

その人の栄光を自分に反映させて、自分は価値ある存在であることを認めてもらいたがっているのである。

これを後光効果(ハーロー効果)というが、そんなことで価値が高まるはずがないことをそろそろ気づいてもらいたいものである。

「こいつにだけは負けたくない」とお互いに(ここが肝心)心から思える(憎しみの心なしで)存在があれば、あなたは成長をやめようとすることはない。


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2010年1月15日金曜日

レポート(1871)



私の講義では毎回授業の初めにレポートを書いてもらいます。

それは、「自分で考える」習慣を身につけてもらいたいからです。

もうひとつは、楽に授業できるからです(笑)。

今日は最後の講義だったので、学生さんに授業の感想を書いてもらいましたが、このレポートは概ね好評のようです。

自分で考えて、それを実際に書いて残すということをあまりやらなくなっています。

授業は運動プログラミングについてなので、実際にプログラムを作成することを目的としています。

学生さんはいろいろな講義を受けているので、知識はあります。

でも、知識があって、頭の中で考えているだけなので、実際に使えるプログラムを作成できません。

それを、強制的とはいえ、それを実際に書いてみることで自分のアイディアや考え方が明確になります。

それを狙っています。

なかなかしっかりとしたプログラムを書いてくる人もいれば、これはちょっとという人もいますが、指導する立場になった時、きっと役に立つと思います。

また、レポートは双方向通信の役割もします。

単に授業をするだけでは学生さんの考え方や意見は分かりません。

私の一方的な考えを押しつけてしまう講義になるかもしれません。

それを防いで、うまく意志の疎通ができるようになればと思ってやっています。

寮生に毎日の練習レポートを書かせるのもそうです。

あまり変化がない練習の中にも、気付きや変化があります。

私の気付かない「思い」というのもあります。

それを確認するためにレポートは大変大切です。

面倒です。

でも、それをやり続けていると、何か見えてくる、何かがつながっていく・・・そういうものです。

講義の感想のレポートは、うれしいことばかり書いてあります。

お世辞かもしれません。

でも、その言葉が心地よく響いています。

教えることの喜びはこういうところにもあるものなんですね。


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2010年1月14日木曜日

先達に学ぶ(1870)



悩んでいるときは、誰かにすがりたくなったり、話を聞いてほしいと思うこともあるだろう。

「悩み」や「葛藤」は、自分ひとりで解決できないことも多いし、落ち込みがひどく冷静に考えられないときや、自信が揺らいで「迷い」が生じるときには、「先達」の智恵に頼ることが良いと思う。

斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、
「先達は、自分にとって道の方向を照らしてくれる存在である。そうした道案内がいるかどうかで、上達の速度は格段に変わってくる。よい先達を得る努力をせず、また自分自身の才覚で道へのヴィジョンを立てることもできなければ、上達をやめてしまうことにもなる。先達は、こうした思い上がりを防いでくれるだけには留まらず、上達への不要な不安をも取り除いてくれる。」
と言っている。

ひとりですべきことをきちんとすることはとても大切なことで、それなくして大成することはないのだが、ひとりでできることには限度があるのも事実だ。

限界を感じたとき、「先達に学ぶ」ことで、それを超えられることも多い。

私は今まで、フェド監督の小浦猛氏、元フェド監督の本井満氏、現フェド杯監督の植田実氏、安田女子大学教授の友末亮三氏、竹内庭球研究所の竹内映二氏、亜細亜大学テニス部監督の堀内昌一氏、名古屋高校テニス部監督の宮尾英俊氏、湘南スポーツセンターの笠原康樹氏など、多くの方から本当にたくさんのことを学ばせてもらった。

彼らの存在がなければ、きっと今コーチとしての道は歩んでなかったであろう。

それほど大きな影響を受け、自分の力となっているのだ。

これらの人たちに共通するのは強烈なリーダーシップを持っているということだ。

たとえて言うと、スタートレックのカーク船長のような存在だ(わかるかな?)。

まわりにいるものをぐいぐい引きつける強烈な個性と、強い信念に従って行動することができる。

自分にないもの、自分よりも優れたものを持っている人には惹きつけられるものだ。

一度会いに行き、話をするだけで良いだろう。

きっとその魅力のとりこになるに違いない。


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2010年1月13日水曜日

行動を評価する(1869)



コーチという仕事は人とかかわる仕事なので、その評価は厳しいものになります。

また、選手から選択してもらうことが前提なので、その経験や身なりなど、第一印象での評価も大切です。

知識や経験、技術、身なりなど、コーチ本人の持つ資質に対する評価を「人物評価」と言います。

なかなか内面がどうなのかということは分からないので、見た目の雰囲気や実績、肩書などで判断します。

それを高く評価してもらいたくてやたらと肩書をちらつかせたり、有名人を知ったいるということを吹聴する人がいますが、評価は決して上がらないですね。

それはあくまでもひとつの参考程度だと考えてください。

大切なことは、その「行動を評価」してもらうということです。

コーチとして、どのような態度や行動をしているのかということが本質的に問われるということです。

どのような行動が望ましのかというと、

1.他人のために動く

2.信念に従って動く

3、責任をとる

ということです。

コーチの仕事の目的は、「その人の持つ能力を引き出す」ということなので、そのことを第一に考えて行動しなければなりません。

いつもそう考えることです。

家族との時間やプライベートが大切ということは分かりますが、プライオリティをどこに持つのかということは大切です。

また、選手の気持ちが揺らがないように、「自分の信念はこうだ」と強く主張することも必要です。

「絶対に大丈夫!」という強い気持ちを選手以上に持っていなくてはなりません。

そして、うまくいかなかったり、何かトラブルがあった時は、自分の責任として捉えることです。

一生懸命に教えます。

それでもうまくいかない時のほうが多いものです。

これ以上やれないというぐらいの気持ちを持って臨んだとして、それでも成果が上がらない時は自分の至らなさを顧みるということです。

「そういう責任が自分にはある」と常に考えるということです。

なかなかそういう気持ちや行動を評価してもらえることはないですが、そのことを期待しないで、自分のすべきことをやりきることが大切です。

しっかりとした行動目標に従って行動することを目標にしていかなくてはなりません。


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2010年1月12日火曜日

行動を目標とする(1868)



目標を立てるというのは結構難しいものです。

多くの目標は、「この大会に優勝するぞ」とか「全国大会に出る」という自分が達成したい目標です。

この目標を設定することは簡単ですが、

本当に、心の底からこれを達成したいと思っているのか

そのためには自分のすべてをかける覚悟があるのか

というような強い意志が必要です。

そうでないと、自分をその目標に向かって追い込むことはできませんね。

こういう目標のことを「達成目標」といいますが、もうひとつ注意しなければならないことがあります。

それは、目標が達成できない時に、モチベーションが下がってしまうということです。

初めの状態に戻るであれば良いのですが、それよりもさらにモチベーションは下がって、競技をやめてしまうこともあります。

また、たとえ目標を達成したとしても、次の目標を見つけられずに、モチベーションが下がってしまうこともあります。

目標を「達成することが目標」だからです。

もうひとつ目標の種類があります。

目標を達成するために、自分のすべきことを決めて、それをやりきることを目標とすることです。

全国大会に出るために、毎日1000回素振りするとか、毎日ストレッチをするというように、自分の行動を決めて実践することです。

こういう目標のことを「行動目標」といいますが、これを実践するのは大変です。

そして、この目標の本当の価値は、全国大会に出るなどの達成目標のために頑張るのではなく、そういう目標に関係なく、自分が成長するために、ただひたすらに行動することにあります。

私の場合であれば、「自分の理想とするテニスアカデミーを作る」という目標があります。

この目標は漠然としています。

はっきりとしたゴールがあるわけではありません。

一生かかっても実現できるかどうかわかりません。

でも、実現のために、ブログを書く、レポートの返信は欠かさない、誰よりも早く起きる、自分の身の回りの整理整頓を怠らない、などの行動を決めて実践しています。

毎日です。

当たり前のように実践しようと努力します。

「行動目標」とはこういう目標のことです。

ただ達成したい目標のために頑張るのではなく、それに向けて自分の行動をコントロールできるかどうかということです。

そして、その「行動そのものを目標にする」ことです。

その結果として目標が達成できると考えるのです。

難しいことです。

ある本に、

「私は目標を持たなくなった。私の目標はただひとつ。昨日と違う自分になる」

と書いてあったと記憶しています。

あるテレビドラマで、

「ありもしないことや将来のことを考えすぎて、今やるべきことに意識を向けないのはおろかです。」

と言っていました。

・・・こういうことです。


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2010年1月11日月曜日

迷う(1867)



「開き直れず」、「気分転換」もできず、何もかもうまくいかないときに人間は大いに「迷う」。

「迷う」だけならまだ良いかもしれないが、テニスをやめてしまおうか、何か違うことにチャレンジしたほうが良いのかなどと「悩み」、「葛藤」することもある。

そんなときは、何をどうしてよいのかわからずに、悶々としてなにもかも面白くなく、どうして自分だけが、と被害妄想的に考え込んでしまうこともあるだろう。

こう考えると、「迷う」、「悩む」、「葛藤」はマイナスのイメージが強いのであるが、じつは成長するためのプロセスとして、誰もが通らなければならない道なのである。

桑子敏雄(「わたしがわたしであるための哲学」PHP研究所)は、
「人間にとって葛藤があるということが非常に重要なことで、迷いとか葛藤とかのなかで、選択肢の探索が行なわれるのである。自分の行なうべき振る舞いにはどういう選択肢があるのかと考えるときに、十分に思慮が尽くされている場合もあるが、多くの場合、必ずしもそうではないから、どういうふうにしたらいいかわからない。しかし、迷ったり、悩んだりしていくなかから、いままで気がつかなかった選択肢というのが現れる可能性がある。葛藤や迷いというものがなくなってしまったときには、そういう新しい選択肢が出現してくる可能性も失ってしまうということだ。」
と述べている。

そう、「迷う」こと、「悩む」こと、「葛藤」することは新たな選択や発見を生み出すためにはなくてはならないプロセスなのである。

ここでは「大いに迷え」と言っておきたい。


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