2010年6月3日木曜日

「ランニング」しない奴は強くなれない!(2010)



スポーツ選手で「ランニング」したことない人っているだろうか。

それくらいメジャーな、というよりも当たり前のトレーニングになっている「ランニング」である。

私たちの時代は(そして今も)、何かあれば「走って来い!」という命令に従って、延々と何時間続くかわからない「ランニング」へと追い立てられた。

走っているうちに苦しくなって、その苦痛に顔がゆがんでくる、それを冷ややかに見守る先輩たちに対して憎悪がめらめらと燃え上がる。

「なんで一年生だけがランニングなんだ。トレーニングしなければいけないのはあんたたちだろう。俺はこんな先輩にはならんぞ。俺が2年生になったらランニングは廃止だ。」

などといつも考えながら走っていたが、2年生になって気がつけば冷ややかに見守る先輩になっていた。

まあ、こんなものかな。

そう、「ランニング」にはそんな暗い過去(?)がある。

つまり、トレーニングとしての「ランニング」ではなく、しごきやいじめ、罰ゲームの種目としての「ランニング」である。

だから、多くの人は「ランニング」と聞くと、「くっ!」と嫌なつらい顔をする。

もちろん、今もその伝統(?)は続いているだろう。

そこで、そうした現状を打破すべく登場したのが「スポーツ科学」である。

こうした「ランニング」は非科学的であまり効果がなく、むしろ害があるなどと宣伝してくれたおかげで、多くの選手が苦しいだけの「ランニング」から開放された。

まあ、その代わりにそれよりも苦しいトレーニングが開発されたり、測定機器の開発がすすんで数値的に身体の状況が把握できるので、サボることができなくなったというデメリットもある。

とにかく、「ランニング」によるしごきがなくなったことは選手にとっては嬉しいことであったに違いない。

しかし、そのようなことがあり、「ランニング」を行うクラブが少なくなったか、というとそうでもない。

実は今でもちゃんと行われているのである。

ただ、そのイメージが変わり、しごきからトレーニングへと変わったのである。

では、しごきの「ランニング」とトレーニングの「ランニング」では何が違うのかを整理してみよう。

【しごきのランニング】とは、

●何が何でも走り続ける。
※時間や量が決まっていないことが多い。
●顔がゆがむくらい苦しいスピードで走る。
※曲がり角ごとに先輩や先生が竹刀を持って立っていて、遅いとたたかれたり蹴られたりする。
●順位によってその後のトレーニング(しごき)がかわる。
※どべ(最後の人という意味です。名古屋弁かな?)には悲惨なしごきが待っている
●何かへまをしたときに必ずセットで付いてくる。
●途中の飲水は認められない。
※水が飲めるポイントにも先輩や先生が立っている。

ってな感じだろう。それに対して、

【トレーニングとしてランニング】では、

●段階的にプログラムされている。
●強制される部分が大変少ない。
●走るスピードが心拍数などを目安に決められる。
●時間はレベルによってきちんと決められる。
●トレーニング効果を引き出すために組み合わされるトレーニングが適当である。
●適当な飲水をすすめる。

という感じだ。随分違うでしょ?

しごき編の項目を見ると、私なんかはつらい過去が思い出されて思わず涙ぐんでしまうが、トレーニング編では、読むだけで強くなっていくような気がする(私だけ?)。

そう!「ランニング」はちゃんとした(?)トレーニングである。

ただ、今までは、というか私たちの時代では、もっとも簡単に取り組むことができると思われていたトレーニングだけに、いい加減な知識や経験でプログラムされ、それがアホな先輩や先生の気分次第でしごきへと変わっていったのだ。

今でも少なからずそういう風潮はあるだろう。

でも、最近ではランニングブームということもあり、「ランニング」の効果的なプログラムなどが書籍や雑誌などに発表されるようになり、「ランニング」をトレーニングとして捉える意識が大変高くなってきたことは大変良いことだ。


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