2009年8月31日月曜日

選ぶ力(1735)



この夏は、どの選手も懸命に戦いました。

その戦いは必死の戦いであり、全力を出し切ろうとしている姿は感動的でありますが、強く感じるのは「勝負弱い」ということです。

これはいつもそう感じることですが、今年の夏の大会を見ていていつもよりも強くその印象を受けました。

なぜ「勝負弱い」と感じてしまうのかというと、一番の原因は「選ぶ力」が弱いからです。

「選ぶ力」とは、その場で得点を取るために最も確率の高いショットを「選択する力」のことです。

例えば大切なポイントで、相手のセカンドサービスに対して思い切って打ち込んでエースを狙うことは正しいのでしょうか?

答えは「わからない」ということです。

状況によっては正しいといえる場合もあるし、間違っているといえる場合もあります。

選択が正しいかどうかは、状況によって変わります。

技術のレベルによっても選択の可否は違ってきます。

そして、たくさんの経験をして(修羅場をくぐり)、強さを身につけてきた選手はあきらかに「ここ」が違います。

とっさの場面で、瞬間的に「どう打てばよいのか」を察知する能力を身につけてきたといっても良いと思います。

以前、一年間にすべての全日本タイトルを手にした女性コーチと話をしました。

たまたま彼女が指導している選手と私が指導している選手が対戦したので、その試合を振り返ってあれこれと検証していました。

彼女の分析には「うんうん、そうだよね。」と納得することが多いものです。

何に感心するのかというと、ある状況でどう判断すべきであったのかという「選ぶ力」の凄さに対してです。

試合会場では、多くの親御さんが子ども達の試合についてあれやこれや話をしているのを聞いていると、「ここ」が違うと思わずにはいられません。

多くの経験と優れた感性を持って「勝負」を繰り返してきたものには見える「選ぶ力」はやはり大きなものであると思います。

だから私はたくさん試合を見ます。

できるだけ多くの信頼できる指導者と話をします。

自分の感性を磨くためです。

残念ながら私は優れた感性や才能には恵まれていませんでした。

それを補うためには経験しかないと思っています。

もちろん勉強はします。

何かで補って「その力」を身につけたいと思うからです。

そして、「それ」を子ども達に伝えていくこと、それが私の仕事です。


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2009年8月30日日曜日

覚悟を持って戦う(1734)



テニスはうまい、でも何かが足りない。感じることは、「風格」が足りないということだ(もちろん、すべての選手がそうだというのではない)。

「風格」を国語辞典で引いてみると、「存在者・行為者としてのスケールの大きさと、重み」とある。

そう、まさに「これ」が足りないと感じるのだ。

スケールの「大きさ」はなんとなく理解できる(ダイナミックにスイングできるとか、ミスを恐れずにチャレンジするプレースタイルといったようなものか)。

では、スケールの「重さ」とはいったい何なのか。

「重さ」とは「質」のことであり、この「重さ=質」こそが強い選手になるためにもっとも大切であることを強調しておきたい。

例えば、ここに同じような大きさの球体があるとしよう。ひとつは鉄でできている。もうひとつは銀でできているとでも仮定しておこう。

鉄の表面もよく磨かれており、一見すると違いが判らない。
しかし、比べるまでもなく、洞察力の鋭い人ならば、ひと目でその違いに気がつく。光沢の違いもあるだろうが、その質感に違いを感じるのだ。

質的な違いは、隠していても「じわっと湧き出て」感知されるものだ。

いくらスケールの大きなプレーができたとしても、その「質=重さ」が伴っていなければ、優れた強い選手にはなりえない。これはよく覚えておいてほしい。

では、どうすれば「質」を向上させることができるのか。

大切なことは、「覚悟を持って戦う」ことだ。

船越正康(「スポーツ心理学の世界」福村出版)は、「試合とは、全人格の勝負である。」と述べている。

すべてを賭けて戦う気持ちがなければ勝負するに至らないのだ。

テレビで「はじめの一歩」(少年マガジン連載のボクシング漫画。これを知らない人はスポーツをする資格はないと言い切ってしまおう)の映画を見た。

その中で、身体的に極限に追い込まれた状態でも(チャンピオンでありながら)挑戦者として戦い続ける姿が見事に描写されている。

これは漫画だからありえる話ではない。私は実際にそういう選手を何人か見てきた。

自分自身を極限に追い込んで(極限まで追い込むので、身体はぼろぼろである場合も多い)試合に臨むことができる人間がいることを知ってほしい。

ただ、勘違いしないでいただきたいのは、がむしゃらなガンバリズムで勝負を挑むのではない。

山下富美子(「集中力」講談社現代新書)は、「集中力を発揮できるように万全の環境条件を整え、競争相手を想定し、何が何でもやり抜いてみせるというような悲壮な「ガンバリズム」よりも、これから取りかかる課題や作業そのものに対して、興味や関心、魅力を感じて、虚心に集中できるような「無心型」の方がかえって集中できるのである。」と言う。

そして、勝ち負けとか、自分が得られる名誉とか信頼に依存しないで、「ただ戦うことのみにすべてを賭ける意志」を持って戦うことだ。

もちろん簡単なことではない。自分の意志をそこまで自律的にコントロールできるのであれば、まちがいなくあなたは強くなる。

長田一臣(「日本人のメンタルトレーニング」スキージャーナル)は、「本当に強いとは「心の強さ」をいう。だから結論はここにくる。すなわち、ものの見方、考え方である。人生どう生きるか、しょせん己ひとりの道である。それを決めるのは心である。己の人生観、世界観を確立して自分の道を歩むのである。」と言っている。

人生を賭けた取り組みをしている者は、必然的に質が磨かれる。周りで見ている多くの人に、その質の高さは感じられるはずだ。

ある人が、「人間的な魅力を感じない選手が素晴らしいショットを放っても感動などしない。」言っていたのを思い出す。

打つショットで見ている人に感動与える選手、そんな選手が本当に強い選手だ!


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2009年8月29日土曜日

敗戦から学ぶ(1733)



海外の遠征では、自分の弱さをみせつけられることも多い。

敗戦から学ぶことは、<自分の弱さ>だ。

弱いから負ける。まず、この事実を認識することからはじめなければならない。

それが十分に認識できたら、次は、弱さの原因についてとことん考えてみよう。

技術的に未熟な点、体力面で補わなければならないポイント、試合中に感じたメンタル面での課題など、多くの原因が考えられるだろう。

戦術的なミスが思い浮かぶかもしれない。それらを書き出してみるのも良い。

それも本当は試合直後が望ましいが、試合直後は敗戦のショックで頭が混乱している場合も多いだろう。

しかし、その敗戦によって打ちひしがれ、テニスを辞める瀬戸際まで追い込まれていないのなら(追い込まれていたら分析どころではない)、できるだけ早いうちに強く記憶にとどめるべきだ。

一流選手は、このような自己分析が明確にできる。

一流選手は、勝ち負けに関係なく試合後のインタビューが義務付けられているので、記者の質問などに答えながら冷静に試合を振り返り、自己分析をする習慣が身についている。

そうすることによって、ミスや敗因を強く記憶にとどめ、弱点を克服する方法や次に勝つための戦術などについての質の高いイメージを持つことができるのだ(杉原ほか「スポーツ心理学の世界」福村出版)。

また、自分の弱さを認識し、次の戦いに向けて自分の気持ちを奮い立たせるには、敗れた悔しさや、負けた選手に対する嫉妬心を強く感じるような感性が必要だと思う。

もし、あなたが、負けた悔しさを感じないのなら、敗れた相手に嫉妬しないのなら選手としての感性はあまり高くないのかもしれない。

本当の意味で自分の弱さを知る。

ここから本当の強さはスタートする。


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2009年8月28日金曜日

遠征に出る(1732)



現在のテニスを取り巻く環境では、なかなかこうしたサバイバル的な過酷な状況に身を置くことは難しいだろう。

また、学校を卒業してしまった人もいる。

では、一人で海外の試合やキャンプに遠征に出るのはどうだろうか。

異国の地に一人で足を踏み入れるのは、正直言って怖い。

少なくとも私はそうだった。

初めての外国で言葉が通じず、ハンバーガーばかり食べていたのを思い出す(日本のハンバーガーと味が変わらないことに妙に感心した覚えがある)。

遠征は一種の冒険である。

頼る者のいない中で、恐怖や不安と戦いながら、すべてのことを自分でするという経験は、感性を磨くまたとないチャンスなのだ。

岩月謙司(同)は、<冒険のような経験を通して智恵と勇気を獲得する>と言っている。

私もその通りだと思う。

もちろん、自律した意志と自立した精神(自立についてはいずれ述べる)がなければ何の効果も無いが、そんな奴は敢えてチャレンジしようとはしない。

海外が無理でも、国内の試合にチャレンジしたり、高名なコーチに教えを請うことも勇気がいるだろう。

大切なのは怖くても<冒険する勇気を持つ>ということである。

以前、紹介した元フェド杯監督の本井満氏は、過酷な南米への遠征を毎年のように行っている。

その遠征中の練習やトレーニング内容は相当ハードだし、選手に自立を促す大変きつい言葉を投げかける(この人は普段は温厚なのに、コートに入ると人が変わったように厳しくなる)。

なぜ、過酷な南米の遠征を好んで行うのかという質問には、「厳しいから」とあっさりと言う(本当、めちゃめちゃ厳しいっすよ)。

過酷な環境下において、厳しい長期の遠征を行うことで選手としての感性が大きく伸びると確信しているのだ。

その方法が正しいのかどうかを私には判断できないが、少なくとも苦しみを体験して、そこから何かをつかむとても良い機会になっていると思う。

冒険は可能性を開く大きなチャンスである。

ぜひトライしていただきたい。


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2009年8月27日木曜日

プライドを持つ(1731)



私がそのような過酷な状況に耐えることができたもっとも大きな理由は、テニスをやっているという<プライド>である。

「俺は、テニスを、こんなに苦しくてもがんばっている。」

「お前たちとは違うんだ!」

「俺は青春をテニスというスポーツにかけている。」

・・・という<思い>が自分を支えていた。

スポーツに打ち込んでいる人間は、何もしていない人間よりも価値があると強く信じていたのだ(今も少なからずそう思っている)。

強い絆で結ばれる仲間でも、

「あいつが辞めないのに、俺が辞めてなるものか。」

という意地のぶつかり合いがある。

これが人間を行動に駆り立てる。

そこには毎日繰り返される過酷な状況に対する絶望はない。

V・E・フランクル(「夜と霧」みすず書房)は、第二次大戦下のドイツ軍強制収容所における人間の心理を克明に記している。

その中には、

「どのような過酷な状況でも人間としての尊厳を失わず、自分に与えられた仕事を誇りを持ってやり遂げようとする人がいた」

と書かれている。

生き残った多くの人は、このような尊厳を持ち続けることができた人なのだ。

もちろん、そのような人でも惨殺された人は何万もいるだろうが、少なくとも、絶望に打ちひしがれ、生きる気力を失ってしまった人にはそのチャンスは少なかったと思われる。

また、その本の中で、

「苦しむことはなにかをなしとげること」

という言葉が大変印象に残っている。

なにかを本気になって成し遂げようとすれば、苦しみは避けては通れない。

その苦しみの中でもプライドを失わず、それにかける思いを持ち続けることで強くなれることを教えてくれているように思う。

<本当の苦しさ>を味わったとき、この言葉の<本当の意味>が見えてくるのかもしれない。

実は、私はテニスがそれほど好きではない。

練習もあまり好きではなかった。

テニスをしなければフラストレーションがたまるというようなことはない。

もちろん嫌いではないが、私にとってテニスは自己実現のための手段である。

つまり、テニスをやっている自分や、テニスを教えている自分が好きなのであり、それをより高みにもっていきたいからプライドを高く持って努力する。

そうなると、すべての人間がライバルである。

スポーツの枠を超えて、あらゆる成功者に負けたくない気持ちでいる。

成功者の活躍には賛辞を送りながら、それを超える自分になるにはどうしたら良いのかをいつも考えている。

絶望している暇など無いのだ。


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2009年8月26日水曜日

人の見本になる(1730)



自分をコントロールすることは難しいと言われます。

それは、人間が本来怠惰な生き物だからです。

できるだけ楽したい、

面倒なことは避けたい、

と考えてしまいます。

でも、人を指導する立場にいると、その行動を評価してもらわなくてはなりません。

「自分ではやっているつもり」

は通用しません。

どれだけの人が集まり、その人がどう評価するのかがすべてです。

もちろん、その評価を得るために、表面的にだけ繕っても意味はありません。

それを「自己評価」として、客観的に評価できるかどうかが大切です。

難しいことではありません。

「人の見本となるように」行動することです。

私は寮で生活しています。

寮での生活を通して、子どもたちに「生活する力」を身につけてもらうことが大切だと考えています。

だから、子どもたちがいい加減な行動をすれば厳しく指導しなければなりません。

そのために、自分自身が子どもたちから非難されないように、つまり、「見本となるように」行動しなければなりません。

心がけていることはたくさんありますが、

子どもたちよりも早く起きること、

絶対に遅刻しないこと、

整理整頓をこころがけ決して散らかさないこと、

遠征から帰ってきたらすぐに洗濯し、荷物を整理すること、

ゴミが落ちていたら必ず拾って捨てること、

トイレや水回りが汚れていないかを常にチェックすること、

朝起きたら布団をあげること、

などなどです。

遠征ではもっと緻密に行動します。

ぱっと見ると大変そうですが、「見本となる」ことを心掛ければ、自然と「行動力」は高まります。

怠惰な動物であるだけに、いつも気持ちは「そちら」に流されます。

それを「コントロール」できて、はじめて指導することができる・・・そう考えています。

昨日、入寮した子のお母さんと、お父さんに、

「どうして子どもを私に預けようと思ったのですか?」

と率直に聞いてみました。

「この人なら、とそう感じたんです。」

と答えていただきました。

そんな雰囲気が自分にあるのかと、ちょっと嬉しく思いました。

その雰囲気は、やはり日常の生活から作られてきます。

より良い雰囲気を作るためにも、ちゃんと「見本となるように」行動していこうと思います。


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2009年8月25日火曜日

夢にかける(1729)



今日から新しく寮生を迎えることとなりました。

荷物を運び入れ、必要なものを整理し、真新しい制服を準備します。

期待も大きいかもしれませんが、不安の方が大きいように感じます。

大人でも初めての生活環境に慣れるには相当のストレスを抱えるものです。

それを12、3歳の子どもが経験するのですから、その不安の大きさも分かります。

でも、子どもたちはテニスに夢をかけて、あえて困難な道を選んできます。

夢があるから耐えられることは多いですね。

親御さんはどうなんでしょう?

私は寮生を預かる時、親御さんの気持ちを考えます。

自分がその子の親だったら、果たして自分に子どもを預けるだろうか・・・と。

きっと不安でたまらないと思いますね。

赤の他人のテニスコーチに、大事な子どもたちを預ける、という勇気はすごいと思います。

子どもたちの夢にかける思いが、その不安すらも薄れさせてしまうのかもしれません。

その気持ちを考えると、出来る限りのことをやってあげなければ、という決意が高まってきます。

新しく入ってきた寮生が、卒業する時に、

「ここでテニスをやれて良かった!」

と言ってもらえることを夢見て頑張りたいと思います。


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2009年8月24日月曜日

本物の友人に出会う(1728)



苦しさの中に本当のスポーツの素晴らしさが潜んでいるのなら、自ら進んで苦しい思いに身を投じてみるのはいかがだろう。

いまどきのクラブ活動は、それほどでもないかもしれないが、それなりに適度な理不尽(?)の存在するクラブも多いはずだ。

私が以前コーチを務めていた慶應義塾大学テニス部は、昔ながらの理不尽、非合理を体験できる貴重なクラブと言ってよい(でも、とても良いクラブだった)。

このようなクラブに身を置くと、自分がなぜテニスをやるのかという意味をしっかりと認識できるチャンスになる(本当かな?)。

私たちの時代のクラブ活動について話をしよう。

岡本浩一(「無責任の構造」PHP新書)は、

「すぐに過去の話を持ち出して、それを栄光の業績であるかのように語るのは、権威的傾向の強い人である」

というが、勝負に弱い日本人が増えてきたのは、<スポーツの苦しみ>について語らなくなったことが原因のひとつであると考えるので、あえて批判を覚悟で述べてみたい。

ひと昔前のクラブ活動は、理不尽極まりないことがまかり通っていた(一部のクラブは今もそうであろう)。

3年神様、2年人間、1年畜生という言葉ができるくらい、1年生は1年間の過酷な試練に耐えなければクラブ活動を続けることさえできないのだ。

私が高校でテニスを始めたときは、コートが1面しかないクラブにもかかわらず入部希望者はざっと40名くらい(実際は一日で辞める部員もいるので、もっと多いはずである)。

それが、8月の合宿を終えるころには6、7人に激減する。

練習中の飲水はもちろん禁止、

一日中ボール拾いに追われ、

何百回と繰り返される素振りに耐え(当時は、ラケットカバーをつけて素振りをするのが主流(?)であった)、

非合理的で理不尽なトレーニング(両手両足を縛られて、学校から先輩の乗るバスのバス停までピョンピョン跳びながら見送りに行かされるなど-ええ加減にせえよ!)に歯を食いしばり、

やっと日没近くなって5分程度の練習が許されるという状況では、

辞めていくのは無理もない。

では、辞めずに生き残った者(?)は、なぜそのような過酷な状況に耐えることができたのであろうか。

東山紘久(「悩みのコントロール術」岩波アクティブ新書)は、

「人間がピンチに出会ったとき、悩むことが飛躍につながる人と、そのままなかなか立ち直れずに、より深刻な問題に落ち込んでいく人との違いは、サポーターがいるかいないかが大きな分かれ目になる。」

と述べている。

私の場合は仲間の存在が大きかった。

ともに励ましあい、競い合う仲間がいなければ辞めていただろう。

本当に良い友人たちに恵まれた。

私は、もちろん戦争を経験していないので大きなことは言えないが、これを<戦友意識>と呼びたい。

過酷な状況では、友情はより強く結ばれる(もちろん、逆に反感や憎悪が大きくなる場合があることは知っている)。

そして、くじけそうになるとき、強く結ばれた友情が何よりも助けになるのだ。

彼らは今でも私の大きな支えである。


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2009年8月23日日曜日

才能を磨く1727)



昨日まで全中のサポートで熊本まで行っていましたが、今日はRSK、中牟田予選のために静岡まで来ています。

なかなか休む間はありませんが、子どもたちの才能や可能性を観ることができるのは楽しみです。

多くの試合を観る中で、「光る才能」に出会うと「はっとするような気持ち」になります。

こうした才能は持って生まれた部分も少なくありません。

でも、それをちゃんと磨いているかどうかが大切だと思うのです。

溢れんばかりの才能があっても、ちゃんと磨いていないと光ることはありません。

小さな才能であっても、それを磨いていれば、キラッとまぶしく光ります。

それを「可能性」と言います。

では、才能を磨くものとは何か、と考えると、それは「純粋性」であったり、「闘争心」であったり、「忍耐力」だったりします。

特に「闘争心」は、根本にないと才能を磨いてはくれません。

そういう戦いもたくさん見ました。

そんな時、「もったいないなあ」と思ってしまいます。

コーチングによって磨かれる才能もありますが、やはり持っている力を、自らの力で引き出すことが何よりも大切です。

だから、「戦うこと」を教え続けなければなりません。

才能を磨くために、です。

明日からもたくさんの試合を見ます。

多くの才能に出会えるのを楽しみにしています。


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2009年8月22日土曜日

苦しみは成長の条件(1726)



一度くらいはテニスを辞めてしまおうと思うほどの衝撃を受けることがある。

テニスは一生懸命やってきた。

でも・・・

やっても、やっても

思うように成績が上がらなかったり、

小さいころの成績が良かったために親の過剰な期待がプレッシャーになったり、

コーチの思いがけない一言で大きく傷ついたり、

テニスを辞めたくなるきっかけは至る所にある。

人間は所詮弱い生き物であり、些細なことで情熱を失うこともあるだろう。

私は多くのそんな選手たちを見てきた。

かける言葉はない。

正直言えば、胸の詰まるような何ともいえない悲しい気持ちになるが、それはその選手の選択だと言い聞かせるようにしている(でも、寝れない時だってあるのだ)。

東山紘久(「悩みのコントロール術」岩波アクティブ新書)によると、

「人間が飛躍的に大きくなるためには、死ぬような大病をすること、浪人すること、破廉恥罪ではなく刑務所に入ることだ」

といわれる。

好きでテニスを始めたのに、それが苦しくて、耐え切れないのは、大げさに言えば大病で死線を彷徨うようなものだ。

でも、その気持ちを振り払い、立ち上がってきた選手は、やはり何かが違う。

多分、テニスに対する<考え方>が変わったのだろう。

「強さ」と選手としての「感性」を身につけている。

これがスポーツの本当の素晴らしさ、本当の歓びだと思う。

多くの選手には良い選択をしてほしい。


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2009年8月21日金曜日

言い訳するな(1725)



一生懸命にやっていない者は、そんなにやっていないから負けても仕方がないという「言い訳」を自分の中に作っている。

だから、負けることに対する恐怖は大きくはない。

「テニスは楽しいからがんばります。」

は、その悲しみや苦しみという恐怖を経験しようとする一歩手前で引いている自分自身に対する「言い訳」に過ぎない。

「言い訳」をする者は、大切な場面でも、まず「言い訳」をして自分自身を安全な場所(人には非難されないように)に置きながら、自分自身をもごまかしてしまうのだ。

岩月謙司(「女は男のどこを見ているか」ちくま新書)は、

「言い訳という行為は、自分にウソをつく行為」

と、<言い訳というウソ>を厳しく批判している(男はこうはなりたくないものだ!)。

「テニスは苦しい。でも、テニスをやっている自分が大好き。だから苦しくてもがんばる。がんばっているから、また喜びも大きい。だから楽しい。」

が、本当の意味である。

楽しんで、趣味の域でやっているテニスに本当の喜びはないし、<強さの降臨>はない。

<死にもの狂い>、これは古い言葉ながらとても大切な言葉だ。


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2009年8月20日木曜日

どん底を経験する(1724)



試合では、悔しい敗戦を喫した子どもにかける言葉に窮するのが常だ。

安田女子大学の友末先生は、

「どんな励まし方をしたとしても、君の気持ちは切り替わらないでしょう。ああ、困ったなあ……。」

と書いている。

この「ああ、困ったなあ……。」は、まさにそのときの私の心境である(友末先生は10年以上の付き合いのある私の先輩であるが、何よりもこの人に惹かれるのは、このような<人に対する感性>である)。

巷にあふれるポジティブ・シンキング的なメンタル・トレーニングは、敗戦のショックから立ち直り、またもう一度テニスをやってみようかという気持ちに差し掛かったときに、なんとなく、心にすうっと入っていくものであり、容赦のない限界を突きつけられたときに、そのような考え方にたどり着くとは思えない。

選手は誰もが懸命に戦っている。

負けたいと思って戦う者などいない。

しかし、打っても打っても通用しない。

何をして良いのかわからない。

本当に残酷なのだが、努力で埋まらない限界がはっきりと示されるのだ。

こんなときに、何をかける言葉があるのか。

私も友末先生と同じように、一緒に肩を落とし、ため息をつき、気持ちが自然に切り替わるのをじっと待つしかない。

スポーツの残酷さを嘆きながら、一緒に涙することしかできないのだ。

このような<苦しみ>がスポーツの本質である。

しかし、その<苦しみ>の中に、選手としての感性を磨く種がまかれているのも真実である。

このような<苦しみ>を幾度となく経験し、「どん底の中であがいた人間だけが感じる本当の歓び」(友末)を手に入れた者が強くなる。

しかし、<どん底を経験する>ことは大変に難しい。

実はどん底を経験するにはいくつかの条件があるのだ。

なによりもテニスに対して一生懸命に取り組んでいなければならない。

あるテレビ番組で、コーチが指導する生徒に対して、

「一生懸命やればやるほど、その悲しみは大きくなる。それがスポーツだし、スポーツとは本来そういうもので、残酷なものだ。」

と説いていた。

そう、スポーツは一生懸命にやればやるほど、苦しみ、悲しみは大きくなるということをこのコーチは知っている。

一生懸命に努力すると、なんとなく自信が付いてくるのだが、その反面、「こんなにやったのに負けたらどうしよう!」と、負けることに対する恐怖が大きくなる。

その恐怖は振り払うことができない。

なぜなら一生懸命に取り組んでいる<自分自身が恐怖を作っている>からである。


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2009年8月19日水曜日

言葉の力(1723)



言葉には力があります。

バレーボールワールドカップのコマーシャルで、

「強くなるしか、道はない」

という言葉が強く印象に残ってます。

また、この間見た「ごくせんザ・ムービー」では、

「教え子を守るために戦う、それが教師だ」

の言葉にジーンときました。

ほんの些細な言葉が耳に残ります。

私はテニスを教えていますが、子どもたちの人生にとって必要なことは何かも教えているつもりです。

だから、私の言葉が

何か人生に役立つ、

心に残る、

ことがあればいいなと思い、いつも・・・そんな言葉を探しています。

自分の思いを受け取るとか、感動してもらうということを期待はしてはいません。

自分が感動した言葉、胸に残った言葉を素直に伝えていくこと、それを続けていくことが大切だと考えています。

そんな言葉はいっぱいあります。

それを感じる「感性」、これを大切に育んでほしいと思うのです。

「言葉の力」を信じて、私ももっと「感性」を磨いていこうと思います。


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2009年8月18日火曜日

勝負する心(1722)



嶋田出雲(「スポーツに強くなる方法」不味堂)は面白いことを書いている。

「スポーツにおいて何をしてよいか分からないほど不幸なことはない。賭けられないのは無知だからである。囲碁、将棋、麻雀の面白さは、誰でも一回一回多くの選択肢があり、その強さは「選ぶ力(ベスト・チョイスの力)」にある。これは人生もスポーツも同様である。そのため、賭けの力が勝負(幸と不幸)の分岐点になるといっても過言ではないだろう。」

テニスはもちろん勝敗のつくスポーツである。

そして、圧倒的な技量の差がある場合を除いて、競り合いの中で勝敗を決するのはこの「賭けの力」である。

私の指導する選手にも、当然、勝負強い奴と勝負弱い奴はいる。

勝負強い奴は、「よくこんなところで勝負にいけるなあ」というところで思い切って攻めたり、相手の攻勢に対して辛抱強く防御したり、その判断が適切であると感じる。

嶋田は、「賭けの力」として、過去の経験や成績(データ)から確率の高いものを選んで実行する確率の力、攻守待の使い分けの力、攻め手のレパートリーの力、深さ、正確さ、速さが勝負を決する読みの力、賭ける根拠を引き出す情報の力を挙げている。

まさにその通りだと思う。

また、高橋浩(「頭のいい人悪い人」PHP)によると、大石内臓助の師であった江戸時代の兵法学者の山鹿素行は、

「察気というのは、まず実際の細かな動き・現象をよく見て十分に現象を把握し、ついでにその背後にあるものを見抜き、そしてそれが生ずる根本要因を洞察する。これが察気ということである。」

と著したそうである。

よく観察して相手の状態を知り、その上で勝つための最良の方法を選択することが重要なのはいうまでもなく、<今そうした状態にある>という心理までも洞察して、最も優れた選択をすることで勝利は確実に自分のものになることを示している。

私は不良学生(不良浪人生であった時期もあるが)であったことが功を奏して(?)、麻雀とトランプ、パチンコで生活を支えた時期がある。

私の相手は主に同じテニスクラブのコーチ連中であり、支払いは月末清算という形を取っていたのだが、一度としてお金を払ったことがない。

この方たちに生活を支えていただいた、という感謝の気持ちでいっぱいである。本当にありがとう!

振り返って考えてみると、私が負けなかったのは何よりも研究熱心であったことに尽きる。

お金があまりないのだから<負けられない>のだ。

そのためには負けない工夫を誰よりもする必要があった。

もちろん!本はたくさん読んだ(このときはお金があまりなかったので、立ち読みに結構な時間を使った)。

ひとつの手を作るときも、常に相手の動向に気を配り、その一枚のカードや牌が出されたときの背景を推察し、攻めるべきか引くべきかを判断し、決断する。

そうして勝ってきた。

そのようなことをやり続けることは大変な集中力を必要とするが、<負けられない意志>が強ければ平気である。

よく、麻雀やパチンコは<運>が良ければ勝てるといわれるが、このようなことを平気で言えるのは<勝負師としての感性>がない証拠である。

私は、不正なことをしないで勝ち続ける純然たるプロが存在するものには、勝利の法則が存在することを疑わない。

麻雀では、20年間無敗の伝説の雀師桜井章一がいる。

勝負師としての感性を磨きたいのなら、この人の書いた本(「雀鬼流」三五館など)を一読することを薦める。

偶然や運が大きく勝敗を左右するといわれるパチンコでさえも、谷村ひとしという漫画家兼パチンカーはその収支をはっきりと示し、何千万円も勝っているのだ。

私も不正なことはただの一度もすることなく、百万円以上勝っている(最近はあまり行けないのが悩みであるが・・・・)。

もちろん、自分自身のものの考え方もあるし、好き嫌いや相性の問題もあるので、その通りに行動して勝つことを期待しているのではない。

ただ、厳しい勝負の世界で不正をすることなく確実に勝っている人がいる、そして、そうした人たちは<勝負師として感性>を高いレベルで持っているという事実を受け止めてほしいだけである。

負ける人は、<勝つためにやらなければならないこと>をやっていないから負ける。

どのような勝負事であれ、準備を万全にし、よく観察し、よく思考して作戦を立て、思い切って決断することができて勝利することができる。

負ける人はそれを忘れているか、もしくは偶然の勝利を期待して努力することを放棄しているのである。

もちろん偶然で勝つこともあるだろう。

しかし、偶然の勝利に浮かれているうちは勝負師としての感性や勘は磨かれないことは肝に銘じておこう。

斎藤勇(「自己チュウにはわけがある」文藝春秋)は、

「75%当たっても、それが偶然であることをしっかりと受け止め、有頂天にならない人もいるのです。たとえそのことに成功しても、やり方は自分にはわかっていない、だから自分はコントロールしていないのだ、と冷静に状況を判断している人もいるのです。こういう人こそ賢人と言えるかもしれません。」

と賢人たる資質について示唆を与えている。

真の賢人になるには遠い道のりだが、一歩踏み出したほうが得だと思う。


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2009年8月17日月曜日

本に頼るな(1721)



感性は放っておいて磨かれるものではない。

本もただ読めばよいというものではない。

その中から自分の指標となるものを探り出し、そして記憶することが感性や思考力を磨く第一歩となる。

本の内容をただ丸暗記しても意味はない(全部暗記できたら、それはそれでかなりすごいことだが)。

著者が言わんとすることを、その立場にたって理解すること、そして、それを自分の考えに結び付けて適切な意味づけをすることがとても大切なのだ。

斎藤孝の言うように、

「読んだ本の内容を人に話す」

ことは、本の内容を記憶することには大変効果的であるが、ちょっとかじり読みした本の文を自慢げに話す奴に限ってろくな奴はいない。

本物の前にはもろくもその愚かしさを露呈してしまう。

学者のように深く研究した人が本物であるということではない(学者に対する批判を吉本隆明(「幸福論」青春出版社)は痛快に述べているが、まさにその通りである)。

本物とは自分の言葉で話すことができる人のことである。

自分が本当にそう感じたことを飾らず素直に語ることができれば、あなたも本物になれる。

もちろん、どの本も崇高な目的のために書かれているのではない。

真実とは異なることを堂々と書いて、あなたを困惑させる本も少なくない。

それに惑わされないように、自分の理念を持ち、それに照らし合わせて判断したいものだ。


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2009年8月16日日曜日

今を生きる(1720)



今日は私の誕生日でした。

例年は誕生日がトレーニングキャンプの最終日になりますが、今年はスケジュールの関係で誕生日がオフになったことを少しだけ喜びました。

だからと言って、特別な催し物があるわけでもなく、2か月ぶりの休みを待っていた娘たちと映画を2本続けて見ました。

「ごくせんザ・ムービー」は今一ですが、「ナイトミュージアム2」はお勧めですよ。

子どもたちと楽しく見る映画としては、大変良くできていると思います。

毎年、こんな風に過ぎ去っていきますが、いつも思うのは、

「幸せな人生だなあ」

ということです。

好きなことをやって、テニスを教えて、子どもたちの成長を実感できて、それでちゃんと生活ができている、このことを心から感謝します。

若い時は、年をとることに抵抗がありましたが、今は、

「その年の自分が一番良いと思えるように生きよう」

と考え、そう生きていると思えます。

誕生日には、不思議とそんなことを考えますね。

もちろん、体力は衰え、動きは鈍くなってきていますが、気力というか、気合いは高まっていると思います。

将来に対する不安も多少はあります。

でも、「女王の教室」で阿久津真矢先生が言った、

「大切なのは、耐える力や解決する方法を身に付けることです。

人生に不安があるのは当たり前です。

大事なのはそのせいで自信を失ったり、根も葉もないうわさ にのったり、人を傷つけたりしないことです。

それより今をもっと見つめなさい。

私たちの周りには美しいものがいっぱいある。そういう大切なものをしっかり 目を開いて見なさい、

耳を済まして聞きなさい。

全身で感じなさい。

それが生きているということです。

今しかできないことをしっかりしなさい。

今しかできな いことがいっぱいある。

それをちゃんとやらずに将来のことばかり気にするのはやめなさい。

いつまでたっても何にも気づいたりしません。」

という言葉がしっかりと刻まれています。

「今を生きる」、それが私のキーワードになっています。

また、明日から仕事が始まりますが、その思いを持ってやっていこうと思います。

娘たちは、

「今度の休みはいつ?」

と聞いてきます。

いつかは分かりませんが、そう聞いてもらえることをうれしく思う、そんな誕生日でした。

ハッピーバースデイ!→自分


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2009年8月15日土曜日

考える(1719)



トレーニングキャンプは3日目を終えて、今日がいよいよ最終日です。

3日目のミーティングでは、「考える」ということについて話をしました。

調子が悪かったり、一生懸命に練習しても上達しなかったりする時期は誰にでもあります。

この時期は苦しい思いをしますが、そういう時には深く考えるようになります。

この時間が成長のためにはとても大切です。

一番いけないことは、苦しいのに何も考えず、ただ毎日の練習をこなしてしまう姿勢にあります。

こういう姿勢を長く続けていると、スランプという状態に落ち込んでいきます。

ここからリカバリーするのは大変ですね。

スランプに落ち込まないようにするためには方法があります。

それが「考える」ということです。

スランプに陥らないためには、「自分自身に興味と関心、好奇心を持ち、行動すること」と言われます。

興味や関心、好奇心があれば、それを知りたいという気持ちが強くなります。

その気持ちが強くなれば、

「どうしてだろう?」

「どうすればいいんだろう?」

「何かいい方法はないか?」

と深く「考える」ようになります。

これが大切なんですね。

うまくいかない時、まずは自分自身で考えてください。

いつもいつも考えてください。

それでも分からない時は、コーチに聞いてください。

コーチはその時のために多くの経験を積み、たくさん勉強し、少しでもみんなの役に立つように準備をしています。

でも、「ともに考える姿勢」を持っていないと、その存在に大きな意味はなくなります。

ちゃんと「考える」ことです。

このキャンプが、もっと深く考えるきっかけになれば良いと思います。


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2009年8月14日金曜日

本を読め(1718)



感性を磨くとして、いったいどのような方法があるのだろう。

一番身近な方法としては本を読むことである。

私がどれくらいの本を読むのかというと、スポーツ・運動関係の専門誌を6誌、テニス専門誌を1誌、その他学会の関係雑誌を4誌ほど定期的に講読している。

それ以外には、コンピューター専門誌とDIY(日曜大工)の専門誌を趣味として購読している。

本は新刊、文庫を問わず、頻繁に本屋に足を運んだり、インターネット上の書店での注文書を含め毎月かなりの冊数の本を購入し、読んでいる。

中には、そのような本という知識(?)に頼らずに自分の感性を磨く奴もいる。

ただし、並み大抵の行動力では学び得ること、感性を磨くことは到底不可能である。

そこまでの労力を払うことができないのであれば、本を読むほうが実際的であると思う。

斎藤孝(「読書力」岩波新書)は、

「読書とは単に情報の摂取のためにあるばかりではない。思考力を鍛え、人間を作るものだ。」

と明言し、

「本は読まなければならない。」

と断言している。

た しかに、自分自身の生き方を大きく左右するような本にめぐり合うこともあるので、できる限り本は読んだほうが良いとは思うが、

勢子浩爾(「ぶざまな人生」 洋泉社)がいうように、「本を読むバカを見すぎた」ので、本を読むことだけで人間の品格や、感性が磨かれるものでないことは承知している。

ただ、実際 的な方法としては大変有効であることは確かだ。

なにも難しい本を額に汗して、無理して読む必要はない。

マンガ本でも良いのである。

「なにっ!マンガだ!」と訝しく思った人もいるのではないだろうか。

「ちょっと待て!」、マンガ本を馬鹿にしてはいけない。

そこにはとても深い示唆に富んだ、ひょっとしたらあなたの感性を揺さぶる場面に出くわすことになるかもしれないのだ。

私の愛読する<週間少年マガジン(講談社)>には「はじめの一歩」や「ゴッドハンド輝」など、実に素晴らしいマンガが連載されている。

毎回感動し、涙することも多い。

ここでは、2003年第7号より読者の皆さんに感動の内容をお伝えしたい。

(「はじめの一歩」から―対戦前に弱気になっている後輩の学を一歩が元気づけるシーン)

学:「み~~~~んな ボクが敗けると思っているんだろうな」
「くそ~~~」

一歩:「周りがどう思うといいじゃない」
「大事なのはそれじゃないよ」
「キミはどう思っているの?」

学:「か・・・・勝ちますよ」
「ボクが!絶対に!!」

一歩:「それが大事だと思うよ」
「自分のコトをどれだけ信じられるかが!」
「不安はしかたがない」
「試合前はあの鷹村さんだって少なからずあると思う」
「だから練習するんだ 少しでも自分のコトを信じられるように」
「走って サンドバッグ叩いて 勝てるかもしれない 勝てるだろうって」
「少しずつ自分を信じられるようになって」
「そして―」
「敗けるはずがない! というところまで身体(カラダ)と精神(こころ)を作り込んでいくんだ」

学:「・・・・確かに 敗けると思ってリングに上がったら 絶対に勝てない」

一歩:「ボクは 会長にそう叩き込まれたよ」

学:「ありがとうございます 先輩・・・・」
「胸にきた! 周りの意見や過去の結果なんて気にしない」
「自分を信じるんだ-自分を!!」

どうだ!!!絵を載せられないのが残念でたまらない!

どんな素晴らしいメンタルトレーニングの本よりも心に響く!!

まさに「胸にきた!」だ(これは理屈ではなく、ハートに響いたという意味で使っているのだろう)。

また、

「身体と精神を作り込んでいく」

という表現にはアスリートとしての真髄がみえる。

そして、このときの物語はそれだけではなく、一歩が力強い言葉を吐いた後に、

一歩:「い いやまあ 偉そうなコトを言っちゃったけど」
「それが理想というか・・・・」
「ボ ボクにとってこの世で一番信用できないのは 自分自身というか・・・・」

と、自分を信じられない自分がいることを素直に告白するのである。

自分を信じられない、自分の弱さを十分に自覚している、そういう人間が努力をするのだ。

そう、そのことをこのマンガは教えてくれるのである。

そのほかにも素晴らしい文章がちりばめられている。

それをいくつか紹介しよう。

(「ゴッドハンド輝(テル)」より)

「生命(いのち)や身体(からだ)が助けを求める声 きっとテルにはそれが聞こえるんです・・・・!!」

この場面を読んで、私には「テニスがうまくなりたい!」という子供たちの声が本当に聞こえているのか、それを理屈ではなく、感じることができるのかと深く自問していた。

(「クニミツの政(まつり)」より)

「・・・・これ・・だったのか・・」

「アニキのでっけー夢ってのは・・・・」

「へへっ なんか今の俺にはよくわかんねーけど・・・・」

「でもよ なんとなく思うぜたしかにコイツはわくっときやがる」

こ の「わくっときやがる」ということばには、ぞくっとするような、なんともいえない重みと深さを感じるのである。

果たしてこれだけの思いをもってテニスに賭 けているのか、

賭ける思いはどうしたら培うことができるのだろうか、

自分の生き方を問うとても大切な意味を教え てくれたのかもしれない。

まだまだあるぞ、本当は全部紹介したいのだが、あと少しだけ・・・・。

(「チャンバラ一撃小僧隼十(はやと)」より)

「オレは 只一振りの 剣となる・・・・」

(「カメラマン宮澤正明物語」より)

「自分の心を相手に開いてこそ 被写体の輝く表情が見えてくるんだ」

「大事なことはそんなプライドじゃなく 面白いと感じた自分の心を相手にさらけ出すことだったのにね」

(「ジゴロ次五郎」より)

「アイツ特別なの コーナーの先のアクシデントが感じられるらしーのヨ」

最後の文なんか、簡単に読み飛ばしてしまいそうであるが、人間の感覚を本当に鋭く研ぎ澄ますことができれば、このように危険を察知することができるよう になるかもしれないことを示唆している。

無理かもしれないが、それを求めていくにはどんな方法で練習やトレーニングを積めばよいのかについて思いを馳せることはできる。

ようは、これらを単なる読み物として

<読み飛ばししない感性>

があるかどうかなのだ。

どうです、本って素晴らしいでしょう。


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2009年8月13日木曜日

対応力(1717)



強い選手を見ていると、その「対応力」の高さに驚かされます。

強いショットを打たれても、鋭い切り返しで反撃を許さず、ちゃんと相手を見てショットを選択します。

「対応力」が高いとは、つまり、「隙がない」ということでもあります。

なかなかこの能力を高めることは簡単ではありませんが、挑むべき課題だと思います。

「対応力」を高めるためには、

フットワークにおける「深さの対応」

が大切です。

ほんの僅かにステップワークを変えることで「インパクトゾーン」を広げることができます。

ボールの後ろにステップインですることを心掛けてください。

そして、

上腕の振り上げテクニックの習得して、

スピンのコントロール性能を高めることです。

このテクニックが高まると、インパクトが後ろにずれても返球が容易になります。

また、

練習においては常にゲームイメージを持ち、

次の攻撃の意識を高く持つことが大切です。

ショットを打って間が大きくあるようでは、「対応力」は高まってはきません。

今回のトレーニングキャンプでは、テーマとして挙げた「基礎力」の向上によって「対応力」を高めることが目標です。

先に書いたように容易なことではありませんが、強くなるためにはどうしても高めなくてはなりません。

トライする気持ちを忘れないで、高い集中力を持って挑んでほしいと思います。


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2009年8月12日水曜日

サマーキャンプ(1716)



昨日、全日本ジュニアのサポートから帰ったばかりですが、今日からサマーキャンプが始まりました。

世間は盆休みでいろいろな所に出かけているところですが、ジュニアのコーチは、今が一番大変な時期ですね。

保護者の方も出かけたいところでしょうが、子どもたちのテニスに賭ける熱意に負けて、暑い中、送り迎え御苦労様です。

今日から始まったサマーキャンプですが、本当はふたつの会場に分かれて開催の予定でした。

しかし、ひとつの会場でのキャンプを担当する予定だったコーチが体調を崩して、急遽合同での開催となりました。

晴れていたので、インドアコートが使用できたこともラッキーでした。

小さな子どもたちにとって、直射日光の中で何時間も練習するのはちょっとつらいですね。

その点、インドアは蒸し暑いですが、直接日差しを受けないだけ体力の消耗は少ないようです。

外のコートでは何名かの選手が気分を悪くしましたが、インドアではそれほど多くはなく、快適に練習ができたようです。

でも、一度に50人以上の子どもたちが集まるキャンプのアレンジは大変です。

今日は、アウトコートとインドアコートを行ったり来たりで、なんと!18000歩を超えました。

ちょっと足は痛いですが、健康にはいいかもしれませんね。

子どもたちの感想はどうでしょうか?

一日中テニスを頑張ることはなかなかありません。

それに、いつもは少ないコーチでレッスンをしていますが、今日はOBが手伝いに来てくれて、総勢8名のスタッフでのキャンプとなり、子どもたちにとっては良い練習になったのではないでしょうか。

13面のコート、すべてに子どもたちが埋まり、汗でびしょびしょになりながら必死にボールを打つ姿を観るのは、何とも気持ちの良いものです。

キャンプの楽しみは、みんなが集まって、一日中テニスをガンバルことに尽きると思います。

それに、私はずっと外にいるので、この暑さにも慣れて、あまり暑さを感じないで元気いっぱいです。

明日からも天気は心配なさそなので、子どもたちよりも元気いっぱいに頑張ることを目標にしたいと思います。


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2009年8月11日火曜日

コーチ(1715)



「基本法則-7つの(K) ⑦コーチ」

これは厳密に言えば、Cであるが、日本語的にKということでお許し願いたい。

強くなるためにコーチの存在は欠かせない。

しかし、なかなか良いコーチにめぐり合うことは少ない。

良いコーチとは、ずばり「視野の広い」コーチである。

知識の量、人間的な度量、幅広い交友関係など様々な選手の感性を幅広く受け止めることができるコーチが良いコーチである。

そういうコーチにめぐり合うには、自分のアンテナも広く張っておかなければならない。

志向性が偏っていると、めぐり合いの機会は少ないだろう。

西に良いコーチあると聞けば行って話を聞き、東に良いコーチがあると聞けば実際に指導を受けてみるといった行動力が求められる。

そして、自分の感性に従って、「あっ、この人だ!」とピンときたら、その門戸を強引にでもたたいてみることが必要である。

私も、その一人として、あなたが門戸をたたいてくれるのを待っている。


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2009年8月10日月曜日

苦心(1714)



「基本法則-7つの(K) ⑥苦心」

テニスの選手を志す以上、チャンピオンになることを夢見るに違いない。

でも、現実は大変に厳しい。

あなたは、がんばっても、がんばっても届かない栄冠に対して、

「なぜ、私だけがこんなに不幸なのだ。」

と嘆き悲しむかもしれない。

しかし、もしすべてあなたの想像するようにうまくいったとして、果たしてあなたは幸せだろうか。

苦しみがなくなれば、喜びもないといわれる。

苦労して、苦労して手に入れたときに人間は感動するのである。

しかし、もっと強い人間は、

「苦労そのものに喜びを見出す」のである。

今、まさに苦労していて、それを乗り越えるためにさまざまな工夫をしている自分、その苦心の中から何かひらめきを得たときに感動できる自分がいたなら、きっとあなたは強くなる。


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2009年8月9日日曜日

好奇心(1713)



「基本法則-7つの(K) ⑤観察、興味、好奇心」

テニスの試合の興味を示さない人は成長しない。

真剣にテレビにかじりついて試合を見てほしい。

できれば、多くの試合に出かけていって実際の試合をじっくり見てほしい。

その選手のフットワークが素晴らしいとか、フォアハンドのストロークに切れがあるとか、そんな分析は必要ない。

ただ、じっと見れば良いのである。

もし、あなたが人並み以上の好奇心を持って試合を見続けるなら、あなたはその試合のプレーヤーに成り代わる。

ひとつひとつのショットに感情が移入される。

あなたは自分が経験できる以上の最高の舞台でプレーすることができる喜びで満ち溢れるに違いない。

素晴らしい試合は壮大なドラマである。

そのドラマの中の主役を想像上でも演じることで、いつのまにかあなたを素晴らしい高みに導いてくれることもある。

もし、あなたがこのような経験に興味も好奇心もなければ、自分が参加できる試合で勝った、負けたと騒ぐしか方法がない。


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2009年8月8日土曜日

観るものの忍耐力(1712)



テニスというスポーツは、大変「忍耐力」のいるスポーツです。

今行われている全日本ジュニアでは、猛暑の中(今年はそれでも涼しい方ですが・・・)厳しい戦いが繰り広げられています。

テニスは、その中で何時間も戦う持久力、思うようにプレーできないストレス、個人スポーツなので頼る者のいない孤独感など、耐え忍ばなければならないことは多いものです。

そして、実はそれを観る者、サポートする側にも「忍耐力」が必要だと思うのです。

小さいころからテニスを教え、自分もある程度プレーをした経験のある親御さんであれば、「自分の力で」と思いたいところです。

大きな影響力があるので、その力によって才能を伸ばすことはあります。

でも、実のところはそれほど多くはありません。

「自分がいれば力になる」

「自分の応援でもっと頑張らせることができる」

と思うのは自己満足にしかすぎないことも多いと知るべきです。

私は、自分の力で子どもたちの才能を伸ばすとか、強くしたというように思わないようにしています。

強くなるのはあくまでも子どもたち本人の才能と努力です。

必要なことは教えますが、それ以上はただ見守ります。

できないことを非難はしません。

やらないことに対しては強く諭します。

負けたことを叱責はしません。

マナーが悪いことに対しては叱ります。

選手として必要な資質については何度も繰り返し話をします。

頑張ってもうまくいかないことは多いものです。

そんな時は、自分の指導力を嘆きながらただ耐えます。

そういう「スタンス」で教えています。

多くの子どもたちを教えてきて、子どもたちが抱えるストレスを聞き、いろいろな経験をして自分なりの「スタンス」を築いてきました。

「それ」に気づいていない親御さんが多いのも気になります。

それが子どもたちにどれだけの「ストレス」を与えているのか気付いてほしいなあと思います。

観る者はじっと耐え、大きな見返りを期待せずに無償のサポートを与え続ける努力をすることが大切である。

そんな文章を読んだことがあります。

それが私なりの「スタンス」を築くきっかけになっています。


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2009年8月7日金曜日

カン(1711)



「基本法則-7つの(K)④カン」

「カン」が働くということはどういうことだろうか。

直感で物事を判断する第六感の能力のことで、自分の気が広く張り巡らされて、なんとなく自分にとって有利に働く方向が察知できるということだ。

道に迷っても、あらぬ方向に行かなくてすむ人は「カン」に優れている人だ。

「カン」は勝負場面ではとても大切な能力である。このコースにサービスを打てばうまくいく、相手は必ずここにボレーを打ってくる、それを瞬時に判断している。

道に迷ったときでも、なにげに目印からのルートが頭にはいっているし、状況から東西南北を察知して方向を決定するなど、知識、経験的なものがベースにあるのだが、それだけでは判断が下せない場面でも、「カン」の鋭い人は、それがぴたりとはまる。

あなたも一度くらい、見知らぬ土地で地図も持たずに旅に出てみると良いかもしれない。そして、どれだけ無駄なく目的地につけるか自分の「カン」を試してみてはいかがだろうか。

私の経験をお話しする。またしてもウィンブルドンに観戦に行ったときの話しだ。

空港でレンタカーを借りて、ロンドン市内のホテルに向かったのだが、地図が大きな縮尺のものしかなく、ほとんど役に立たないという状況であった。

しかも、ロンドンは交差点が少なく(ラウンドアウトという代物だ!)、大きな一方通行が多かったりと、運転するにはとても大変なとこなのだ。

そうこうするうちに日が暮れてきて、このままではホテルに着くのは難しいかもしれないと思いはじめたころ、なにげにすっと左に曲がった目の前に目的のホテルがあった。

ロンドンは看板の規制があり、派手な看板がないので、よく眼を凝らさないとそこがホテルかどうかも良く分からない。

ましてや、英語がそれほど得意でもない日本人旅行者にとってはなおさらである。

でも、不思議と私には自信があった。そして、その通り無事に目的のホテルに着くことができた。

このような経験は一度や二度ではない。私の持っている能力である。「カン」だけに頼ることの危険性は無論承知しているが、土壇場で、自分の力を発揮できる人は、この能力に優れている場合が多いことを知っておいて損は無い。


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