2010年5月31日月曜日

実戦の強さ(2007)



試合になると力を発揮する人がいます。

性格的に実戦が向いている、というのはありますが、訓練でそうなれることもあります。

練習中にうまくいかなくて集中力を乱していた選手が、練習マッチで素晴らしい集中力を発揮して戦う姿を見ました。

練習では見られないような動き、集中力を見た時、

「本当の力をつけてきたなあ」

と実感できます。

前の日の練習の態度を怒られて、それに奮起したということもあるでしょうが、そうではなく、試合という緊張感、「意識の違い」が力を出させていると感じることができるのです。

もちろん、練習と試合で同じようにできることが望ましいのですが、なかなか難しいことです。

でも、

「練習よりも試合の方が力を出せる」

というのは強くなる人の条件であると思います。


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2010年5月30日日曜日

チームのために(2006)



テニス部である騒動があって、部の責任として大会の出場を辞めるという話をしました。

ひとりひとりが部の一員であるという意識を持って、チームのためにすべきことをやるという意思を高めたかったからです。

3年生は最後の戦いになるので、どうしても出たいに決まっています。

でも、部としてのまとまりを作るためにはやむを得ない決断だと思いました。

そして、最後に、その3年生に、一人しかいない3年生に意見を求めました。

その3年生は、泣きながら、

「チームのためになるのなら、大会の出場はやめてもいいです。」

と言い切りました。

この言葉を聞いたとき、思わず泣けてきそうでした。

「チームのために」、その言葉が心に響きました。

そういう思いがあれば、きっとこのチームは強くなる、そう確信した瞬間です。

昨日、その大会が行われましたが、次の世代に繋がっていく良い試合をしてくれたと思います。

心から感謝しています。

テニスは個人スポーツです。

チーム意識を育みにくいスポーツかもしれません。

実際に私が指導を始めた当初は、自分勝手な行動が目立ち、まとまりの無さを強く感じていました。

私に対する信頼感も、チームに対する愛着もあまり感じませんでしたね。

どうすれば良いのかもよく分からないまましばらく過ぎましたが、あまり変化はありませんでした。

正直、テニスをやろうという意志もあまり感じられなかったので、こんなことではテニス部を続けても意味はないとさえ思っていました。

でも、違ってました。

子どもたちは純粋にテニスをやろうとしていました。

それをどう表わしていいのかが分からなかっただけかもしれません。

それがこのことをきっかけに大きく変わりました。

何よりもチームに対する意識が変わりました。

そのことを感じることが多くなりました。

自主的な管理も優れてできるようになりました。

いいチームになったなあ、と感じます。

そんな思いを多くの子どもたちが持ってくれれば、このチームはもっと強くなるし、きっとこのチームが成長の場となります。

まだまだテニスは未熟ですが、いろいろなことを経験して子どもたちは確かに成長したようです。

これからも成長できる「場」としてのチーム作りを続けていこうと思います。


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2010年5月29日土曜日

人間の能力を伸ばす環境とは(2005)



私たちが海外への遠征をできるだけ低年齢のうちに経験し、それを継続的に続けていくことができるような「環境」を作ろうとしているのは、何度も言っているように、「強くなるには海外で戦うのが当たり前、それがスタンダードな考え方である」、ということを誰もが「意識」できるようになってほしいからだ。

トレーニングジャーナルという雑誌に、「指導の際に「あれをしろ、これをしろ」と言わなくても、ある刺激を与える、ある環境を与えるだけで、ほおっておいても目的とする動きに誘導させられます。ヨーロッパなどでは、この生態的な動きを「エコロジー(ecology)」と表現し、「エコ」という言葉をつかっています。」とコオーディネーション能力について紹介されている。

無事に閉幕した愛・地球博でも「エコロジー」がテーマで、あちこちでそのテーマなり、スローガンを目にしたので、私も大変興味深く読んだが、「こういう意味でも使うのか、なるほどね」、と思った次第である。

そして、その時ふっと、ある心理学の先生が書いた「心が大事というのはいいけれど、すべてを揺さぶるものは「場」です。「場」が全部を揺さぶるわけです。」という文を思い出した。

人間は「環境」によって「心」が揺さぶられる。

だから、素晴らしい施設環境を作らなければならない、というのではない。

「環境」とは「意識」の集合体のようなものであり、施設などの建造物はその一部である。

だから、素晴らしい施設を作っても、「意識」がそのレベルで伴っていなければ、素晴らしい「環境」とはいえない。

私は、もし、すべての子どもたちが、「スタンダードな考え方」を持つことができたときにはどんな風になるのか、ということを良く考える。

施設などが何も変わらなくても、きっと素晴らしい「環境」ができるに違いない。

また、「環境」とは「全体」である。

個々の「もの」が素晴らしくても、「全体」としてバランスを失っているようでは、素晴らしい「環境」とはいえない。

さきに紹介したトレーニングジャーナルには「コオーディネーションはいろいろな領域で展開されていますが、その原点は「人間の動き」そのものです。全体を見ていくことです。」と書いてある。

トレーニングの指導現場では、この「全体を見る」ことが欠けているように感じる。

それが日本におけるトレーニング指導のもっとも大きな問題点であると指摘する声も多い。

より良い「環境」を作るためには、常に「全体」を見て、バランスを取りながら、いろいろなものを「柔軟」に取り入れることが重要であることは間違いない。

そのためには、私たち指導者は、子どもたちに必要なものは「何か」をいつも探し続け、その「感性」を磨く努力をしなくてはならない。

「これでいい」と言い切れるものは見つかりはしないのだから、「探し続けること」、「今、必要なことは何か」を真剣に問いかける姿勢が何よりも大切だと思う。

同じくトレーニングジャーナルに、「自分がやってきたことを否定するし、否定できるから、平気な顔をして今の技術指導ができるのです。」というスケートの指導者のインタビューが載っている。

「柔軟性」の大切さを説いているように思う。

こうした「意識」が大きく広がりを見せたとき、きっと素晴らしい「環境」はできてくる。

そういう意味で、愛知万博はいろいろと私に考えるきっかけを与えてくれる素晴らしいイベントであった。

「環境」が変われば、きっと素晴らしい選手にめぐり合うことができるはずだ。

「時代が変わり、環境が変わっても、人間が根本から変わることはない。変わるとは「意識」が変わるということだ。意識が変われば新しい人間が生まれる。人間が変わらないで、どうして新しい局面、新しい世界が展開するだろうか。」

と私の好きな心理学の先生は言っている。

そんな「新しい世界」で子どもたちがテニスをするのを想像するのは楽しいものだ。


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2010年5月28日金曜日

試行錯誤の力(2004)



たまに、テニスのコーチなのになぜ野球のトレーニングを教えているのか?とか、なぜ野球部のトレーナーをしているのか?などと質問されることがある。

ん~、なぜ?と聞かれると、ちょっと返答に困るが、理由は3つほどあるように思う。

ひとつめは、成り行きである。

たまたま私のトレーニングの教室に通ってきていた方が倉野監督の奥さんの知り合いで、私のことを紹介していただいた、というのが直接的なきっかけである。

倉野監督が監督に就任したばかりで、強化のためにトレーニングを指導してくれる人を探していたのと、私が各学校宛に「トレーニングの指導しますよ!」みたいな案内状を出していたこと、トレーニングの教室を開講したばかりでいろいろな方法を模索していたことなどが「偶然重なった」、ということだ。

まあ、出会いなんていうのはこんなことが多い。

正直、はじめのうちは野球のことをよく知らなくて、時間さえあればグランドに足を運んでいた。

それでも、あの「泥んこまみれ」、にはなかなか慣れませんでしたね。

子どもたちは、土の上で平気で寝転がったり(土と仲良くなるトレーニングといって、グランドでごろごろするトレーニングもあったそうだ)、どろどろの手で平気で何かをほおばるのに抵抗があった(今も少なからずある)。

また、強風が吹くと、耳の中が真っ黒になり、タオルで耳の中を拭くと泥や砂がこびりつくこともある。

テニスの世界では考えられないことが多かったように思う。

でも、そんなことを続けていくと、何となくペースをつかみ、自分なりのポジションをみつけて、無理をせずに楽しみながらトレーニングを教えることができるようになってきた。

もちろん、そこにたどり着くまでは「試行錯誤」の連続で、野球や野球のトレーニングに関する専門書などを何十冊も買い込んで、毎日のようにメニューを考え、気がつけば450種目ぐらいのトレーニングを指導してきた。

今は、その中から、時期に合わせて適切なトレーニングを選択し、できるだけ楽に効果が上がる方法を自分なりに構築している。

たまにはサッカーなども取り入れる余裕もある。

そして、パーソナルなトレーニングを指導する機会も作ることができるようになってきたことが、比較的怪我の少ないチームを作ることに貢献できているように思う。

また、愛工大名電高野球部は、OBのプロ野球選手などから寄贈されたトレーニング機器が充実していることも強くなった大きな要因である。

しかし、私がトレーニングの指導に来る前は、屋外にさびだらけで放置されていたり、トレーニングルームとして使用する部屋が物置と化していたりして、機能的に使われていたわけではない。

それを監督と相談しながら、徐々にトレーニング室を整備し、トレーニング講習などを行って、トレーニング機器を使って適切にトレーニングを行うことができるように環境を作ってきたことが子どもたちの能力を向上させるために大いに役立った。

そのトレーニングカリキュラムも、まさに「試行錯誤」の連続で、色々なトレーニングを自分自身でも試しながら、無理なく筋力や機能の向上がはかれるように作成していった。

こうした「試行錯誤」は、選手にとって「本当に必要なトレーニング」を作り出していくためには大変重要なことだ。

選手の才能を伸ばすためには、ありきたりのトレーニング論では通用しない。

選手の体格や体力、考え方はもちろん違う。

また、できる限り環境に合わせたメニューを考えなくては、継続的にトレーニングを行うことは難しい。

これからも「試行錯誤」は続きます・・・より良い環境を作るために・・・。


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2010年5月27日木曜日

教えるということ(2003)



昨日、ある市立高校の先生が練習を見に来てくれました。

自分が顧問を務めるテニス部の練習環境を良くするために、名古屋国際の練習を見たいということでした。

この先生とはもう5、6年の付き合いになりますが、「教えること」に対するまっすぐな気持ちを持っているので、会う度に私のやる気も高まります。

部活動に情熱をそそぐということは簡単なことではありません。

この先生は、担任業務に加え、テニス部と技能オリンピックを目指すクラブの顧問を掛け持ちでこなしています。

それでもなお、テニス部のためにと情熱を持ち続ける姿は、まさに「教えること」とはどういう事なのかを私に教えてくれます。

私は、よく「テニスはあまり好きではないけれど、テニスを教えることは大好きです!」と言います。

テニスは、もちろん嫌いではありませんが、それ以上にテニスを教えるということに魅力に感じるのです。

「教えること」で、子どもたちから感動をもらえます。

「教えること」で、自分のやりがいを強く感じて、人生が豊かになります。

人に何か「教える」ということは、それだけ大きな魅力があるということです。

これからも「教えること」に真っすぐに進んでいこうとを思います。



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2010年5月26日水曜日

心拍数(2002)



心拍数を目安にトレーニングを考えるというのはとても大切なことだ。

心拍数は何を教えてくれるのであろうか。

まずは、その選手がどれくらいのレベルで運動を行っているのかが一目瞭然である。

疲労困憊にいたるときの心拍数を知っておけば、どれくらいまで追い込んでよいのか、どこで休息が必要なのかも検討がつくし、選手に対して目標レベルを設定しやすくなるので、モチベーションを引き上げる効果も期待できる。

なによりも「サボることが出来ない!」のがコーチとしては良いと思う(笑)。

その他にも回復度合いを知ることが出来るので、どれくらいのリカバリー能力が備わっているのかがわかる。

それを元に、練習プログラムの強度を設定することも可能である。

このような便利なものを利用しない手はないだろう。

最近では、心拍数の測定器も手ごろな値段で購入できるので、1つ2つ持っていても良いと思う。

ところで、トレーニングをすれば心拍数はどう変化をするのだろうか?

じつは、トレーニングをしても心拍数はあまり変わらない(もちろん、トレーニングを繰り返していけば、心拍数は減少する)。

その代わりに一回の拍動で送り出される血液の量は増えていく。

同じ心拍数で多くの血液を送り出せるようになるのだ。

だから、運動を長く続けることができるし、リカバリーの能力も高くなる。

シドニーオリンピックで金メダルを獲得した女子マラソンの高橋尚子選手は普段の心拍数が約35拍らしい。

一般の人の半分しかない。

単純に考えれば、1回の拍動で2倍の血液を送り出せるようになっているということだ(血液中の酸素の運搬能力も通常では考えられないほど高いらしい)。

かつての世界チャンピオン、ビヨン・ボルグ選手も心拍数が40程度であったとの報告もあるように、テニス選手もマラソン選手並みの心肺持久力が要求されるのかもしれない。

そして、呼吸によって取り入れられた酸素を身体の隅々まで届ける循環機能、その酸素を効率良く使う筋肉の機能の向上が大変重要である。

これらの能力は、「最大酸素摂取量」によってあらわされる。

「最大酸素摂取量」とは、1回の呼吸でどれくらい酸素を取り込むことが出来るのかという能力のことだ。

「最大酸素摂取量」が大きいほどタフな選手ということができる。

この能力は、トレーニングによって各段に向上していく。

そのためには、ただ走るだけではなく、筋肉の機能向上や呼吸法の改善などのトレーニングを合わせて行うことが大切である。

もちろん筋力トレーニングも併せて行うことが重要だ。

がんばってトレーニングをして、テニスに適した身体を手に入れてほしい。


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2010年5月25日火曜日

ちょっと変わってる(2001)



錦織圭がフレンチオープンの1回戦を突破しました。

怪我から復帰し、不安や緊張もあったと思いますが、チャレンジャーで2週連続優勝した勢いもあって、いい流れで試合に臨めたのではないでしょうか。


多分、多くの報道陣が詰めかけたと思います。

プレッシャーはより大きくなります。

でも、彼の性格というか性質を考えると、プレッシャーは大きな問題ではないように感じます。

普通の人間であればプレッシャーが掛かると力を出すことはできません。

だから緊張しないようにしようとしますが、それはとても難しいことです。

そう思えば思うほど緊張は大きくなりますね。

彼も緊張します。

まったく緊張しないような鉄面皮のような人間ではありません。

インタビューでも「マッチポイントでは手が震えた」と言っています。

でも、プレーに入ると、そういったことに気持ちを持っていくことがあまりありません。

プレーに対する集中力が並ではないということです。

だからこそ、自分の力を試合で発揮できます。

100%に近いだけの力を出し切れる特殊な才能を持っています。

自分の体の限界まで使うことができるので、怪我が心配ですが、その能力は他のトップ選手と比べても高いものがあるので、それを活かして勝ち進んでほしいですね。

こういう能力を持っているということは素晴らしいことですが、やはり、「ちょっと変わっている」ひとが多いですね。

普通の人ではないので、この「ちょっと変わっている」というのは、トップ選手になるための条件であるように思います。

「変わっている」というと、何か悪いことのように聞こえますが、人とは違う能力を持っているという素晴らしい才能、資質です。

その才能が大きく開花することを願っています。

がんばれ!圭!


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2010年5月24日月曜日

変えていかなくてはいけない(2000)



この地域の大会はちょっとおかしい、と思います。

他の地域では当たり前のことが通用しません。

本当にジュニアのためになっているとは思えないことがたくさんあります。

そういったことが「思い切った戦いができない」状況を作っていると思います。

また、日程がうまく調整できなくてチャレンジできる機会を奪っていることもあります。

全国大会でより良い成績が残せるようにスケジュール調整やサポートが出来ていません。

しかし、「なぜ?」という疑問をぶつけて議論する場もありません。

ジュニアを取り巻く環境は大きく変わってきています。

それがより良い方向に向かっているのであれば問題ありません。

ダブルスのパートナの選択でもめる場合は多いものです。

本当にコンソレーションは必要なのか?と考える時があります。

どこで行われる大会であっても、自分の時間や都合に合わせてエントリーできるようにすべきだと思うからです。

いつでも「チャンレンジできる」とは、そういうことです。

県ごとのランキングにこだわらなくても良いシステムは出来ないものかと考えます。

試合の開催の決定に関しても、現地に行かなくても確認出来る方法は簡単にできると思います。

ネットエントリーの方法は、簡単に構築できます。

ランキングの選定もある程度は自動的にできるようにすることができます。

そうしたシステムを構築して人的負担を減らし、そこからさらに発展的にジュニアのための環境を作れないものかを真剣に考えています。

全国大会で集まるテニスバカと話をしていると、「変えていかなくてはいけない」という意欲が湧いてきます。

バカになりきらねばならない、と思います。

バカは、エネルギーを持っているからです。

「愛すべきテニスバカ」と題して、こんなことを書いたことがあります。


*******************************************************

「バカ」はいいですねえ。
 
純粋です。
 
前向きです。
 
行動が単純です。
 
 でもなかなか「バカ」にはなれません。
 
 なぜなら人間は成長するにつれていろいろなことを覚えすぎてしまうからです。
 
 捨てなくてはならない余分なものまで覚えてしまって、それに縛られて純粋性を失い「バカ」ではな くなっていきます。

*******************************************************

変えるために、自分の持っているエネルギーを全力で注いでいきたいと考えています。

2000話の節目の話として、こんなことを考えました。

3000話、4000話に達した時、どんなふうになっているのか、自分は何をしているのか、大変興味のあるところです。

なんとか続くように・・・がんばります。


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2010年5月23日日曜日

かけがえのない人(1999)



全国大会に来ると、いろいろなコーチと話ができるのは刺激的です。

みな個性的で、純粋に子どもたちのために何が出来るのかを考えています。

それぞれに立場があり、どのような形で選手と関わっているのかはよく分かりませんが、選手や子どもたちにとってはかけがえのない人であると思います。

「かけがえのない人間になるには他の人と同じことをしていてはダメ、ひとりでいるということを受け入れることが必要」

と、あるドラマの中で黒木瞳演じる人物が言っていました。

ここに集まったコーチは、まさにそういう人です。

自分のすべきことに対して信念を持って取り組んでいます。

誰がなんと言おうとも、まっすぐに、時には愚直に進んでいます。

たとえひとりになろうとも、誰も賛同する者がいなくても、自分の信念を貫こうとする強い意志を感じます。

そういう人間が集まる時、私は逆につながりの強さを感じます。

同じような感性を持っていると感じるからです。

私が今教えている子どもたちにとってかけがえのないものかどうかは分かりませんが、そうあろうとする努力は続けていこうと思います。


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2010年5月22日土曜日

テニスにとって理想的な体力とは(1998)



テニスにとって「理想的な体力」とは何かを考えてみよう。

テニスは「瞬発力」を必要とするスポーツである。

威力のあるサービスを打ち、相手の打った角度のあるボールに対して全力でダッシュして打球し、すばやく身をひるがえしてオープンコートをカバーする、などの動きに対しては「瞬発力」がなければ対応することはできない。

また、テニスは「持久力」を必要とするスポーツでもある。

デ杯やグランドスラム大会のように5セットの試合をフルに戦うためには相当の「持久力」が必要であるし、ジュニア選手が夏場の多くの大会を勝ち抜くためにも相当の「持久力」が必要となる。

「持久力」と「瞬発力」の両方を兼ね備えていれば問題無いのであるが、ことはそう簡単ではない。

人間の筋肉はどちらかのタイプに分かれるからだ。

瞬発力がありスピードもあるが、持久性には乏しい筋肉(速筋)と、逆にスピードは無いが運動を長く続けることができる筋肉である(遅筋)。

人間は生まれながらにある程度その筋肉の割合が決まっている(もちろん、トレーニングによってある程度は変化することも証明されている)。

だから、持久性の高い筋肉の多いひとが100m走ですごい記録を作ることは困難であるし、逆に瞬発力のある筋肉を持っている割合が高い人は、長い距離を走るのが不得意である。

次のような計算式で、ある程度筋のタイプの割合を計算することができるので、試しにやってみよう。

(計算式)
69.8×(50m走の秒速÷1200m走の秒速)-59.8

例えば50m走が8秒だとすると、秒速6.25m。その人の12分間走が2800mだった場合、秒速3.89m。6.25÷3.89=1.61だから、69.8×1.61-59.8=52.6%が速筋である。

また、走タイムを記録することや簡単な測定器具で血液中の乳酸という物質を測定することでもある程度推測することができる。

ハードな全力運動をすると、血液中に乳酸という疲労物質がたまり、筋肉が動かなくなってしまうのであるが、筋肉の持久力が高い人はこれを除去する能力が高いことがわかっている。

この血液中の乳酸を測るために、以前は大掛かりな装置を必要としたが、最近では簡単に測ることが出来る機器が開発されている。

私が指導しことのあるトップジュニア選手は、運動直後の疲労困憊で動けない状態から、わずかな時間で完全に回復するのに対して、ある学生選手は、いつまでも数値が戻らず、くたびれた身体が長く続いてしまう。

これをリカバリー能力というが、全力運動のスピードもまずまずあり、なおかつリカバリー能力の高い人は、速筋のなかでも持久的な能力に優れている中間筋とよばれる筋のタイプが多いことが分かっている。

この筋のタイプを多く持つ選手が、タフな選手であり、テニス向きであると言うこともできる。

しかし、この能力を高めるためのトレーニングがもっとも過酷で、厳しいトレーニングである。

そういう覚悟がある人だけが取り組むべきトレーニングであるかもしれない。

あなたにはその覚悟がありますか?


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2010年5月21日金曜日

得意なパターンを練習する(1997)



それで、ある程度ショットに「自信のようなもの」(自信ではない)が出てきたのなら、そのショットを使ったパターン練習をお勧めする。

パターン練習とは、例えば、フォアの回り込みの逆クロスが得意であれば(私のこと?)、

1球めに回り込みの逆クロス、
2球めにフォアのワイドボールに対するクロスコート、
3球めにもう一度回り込みの逆クロス、
4球めにフォアのワイドボールに対するダウンザライン、
5球めに回り込みのダウンザライン、
6球めにフォアのチャンスボールの打ち込み、

というようなパターンを決めて実戦形式のドリル練習を行うことだ。

この練習では、何よりも、「得意なショットを使って相手を攻める」ということをイメージしながら行うことが大切である。

この練習を繰り返し行って、実際の試合でそのパターンでポイントを取ることができると、「よしっ!」という強い気持ちになれるものだ。

何よりも、自分の得意なショットが相手にとって有効だと思えることは、失いかけた自信を取り戻すきっかけになるだろう。

調子の崩れを取り戻すことは容易ではない。

ましてやメンタル的なことが原因で崩れたものを立て直すのは本当に難しい。

しかし、何もしないで、マイナスに向く意識をさらに助長するような環境を作ってはいけないと思う。

そのためには、できるだけ自分が心地良く感じることができるような練習の方法を工夫することは大切な対処法である。

コーチも「人間は弱い」、そのことを常に頭において練習の方法を考えるようにしたい。


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2010年5月20日木曜日

ステータス(1996)



今日の全国選抜ジュニアは残念ながら雨で室内での戦いとなりました。

1回戦を戦った詩菜は、積極的な攻めで無難に勝ち上がりました。

どんな相手に対しても、その姿勢を失わないようにチャレンジしてほしいと思います。

今日の夕方に大会のディレクターの方と話をしました。

この大会は31年続いているそうです。

開会式や閉会式には皇族を迎えるなどの高いステータスを維持しながらこれだけ年数を続けていられることはすごいと思います。

大会のステータスを上げることは簡単なことではありません。

行き届いた配慮や気配りのある運営など、派手なセレモニーだけではない細かなところまで評価されてはじめてステータスは上がります。

この大会に参加すると、そんなことを感じます。

その中で子どもたちの懸命な戦いが繰り広げられるのを見るのは本当に刺激的です。

その思いをこれからの指導に活かしていかなければならない、そんなふうに思います。


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2010年5月19日水曜日

懸命の戦い(1995)



明日から全国選抜ジュニアが始まります。

この大会には久しぶりにサポートにいきますが、とても大きな思い出があります。

多分、6、7年前の話ですが、私のクラブの子どもがコンソレーションの決勝を戦いました。

それが壮絶な戦いで、3セットマッチノーアドバンテージにも関わらず、3時間を超える戦いとなりました。

決勝戦はとっくに終わって、表彰の準備も万端です。

関係者は早く終わらないかなあというような顔で見ています。

そんなことはまったく関係なかったですね。

お互いに何本もあるマッチポイントを凌ぎ合い、最後の最後まで力を出し切る戦いに感動しました。

何よりも素晴らしいのは、優勝がかかる試合でもなく、大きな賞賛もされることのない戦いであるにも関わらず、純粋に、懸命に戦う姿です。

幸いなことに私のところの子どもが勝ちましたが、この試合が終わってすぐに丁度タイミング良く知り合いのコーチから電話が入り、

「どうでしたか?」

と聞かれて、何か話そうとしたのですが、声が詰まって何も話ができませんでした。

ただ一言だけ、

「素晴らしい試合だった」

と言うのが精一杯でした。

私にコーチとしてテニスを教えることの素晴らしさを教えてくれた試合です。

私は子どもたちのこういう試合を見たいと思って指導しています。

今回の大会でも心から感動できるような試合を見ることができればいいなあと思います。



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2010年5月18日火曜日

得意なショットを練習する(1994)



そうはいっても、いつもゲームばかりはしていられないだろう。

やはり練習によって調子を上げる工夫をしなければならない。

子どもたちに「調子が悪いときはどんな練習をするの?」と聞いてみると、「基本練習」と答える場合が少なくない。

「課題練習」と答える場合もある。

どちらも間違った答えではない。

しかし、1週間後に迫った大切な試合を前に調子を落としてしまっているような場合はどうだろうか。

調整の意味で練習するのではなく、「不安」から焦り、「なんとかこのショットの調子を上げなくてはならない」と思って練習に取り組んでいて、果たして調子を取り戻すことができるだろうか。

答えは「ノー」だ。

「~しなければならない」という考えこそが自分を追い込んでいることに気づくべきだろう。

また、人間はマイナスのほうに意識を向けやすい。

「基本練習」をやっていて、うまくいったショットよりもミスショットのほうに強く意識を向けてしまうものだ。

「基本」であるだけに、「ミスをしてはいけないと思い込んでしまう」こともある。

そういう子の練習を見ていると、「おっ、なかなかいいショット打つなあ」とこちらが感心しても、当の本人はいつでも不満げだ。

なぜなら、「1本のミスショットも許されないよう」に「心を縛っている」ので、一本でもミスショットがあるうちは「自分自身を許すことができない」からだ。

「自分自身を許す」ことができなくて、はたして「調子が良いと感じる」ことがあるだろうか。

そんなことはあるはずがないのだ。

「一流のプロだってミスはする」、という「あたりまえの考え方」を持てない限り、その呪縛から逃れることはできない。

「ミスをしてしまう自分を許せるようになる」ためにも、あまり「基本練習」というものに縛られることのないようにしたい。

ただし、勘違いされては困るのだが、「基本練習」は大切な練習である。

でも、これには「改善する」、「矯正する」ということが目的である場合が多い。

「改善する」ためには、多くの時間を必要とする場合が多いので、次の試合までに時間があるとか、次の試合はいいから将来のために今この改善に取り組む必要がある、という場合には絶対に必要な練習である。

しかし、間近に迫った大切な試合を控えて、メンタル的なことが原因で調子を落としているような場合には、取り組み方を間違えないようにしてほしいということだ。

では、どんな練習が適しているのだろうか。

それは「得意なショットを練習する」ということだ。

サービスが得意であれば、サービスの練習を多めに、時にはサービスの練習だけをすれば良いのだ。

調子が悪いから(悪いと思い込んでいるから)、今までのように上手く行くとは限らないが、少なくとも不得意なショットよりは「上手く打てる」、「上手く打てると感じる」場合は多いであろう。

得意なショットというものは、そのショットを打ったときに「(チョー)気持ちいい!」と感じる「何か」があるのだ。

でも、その得意であるショットが調子悪くて落ち込んでいるときにはどうすれば良いのか、という疑問が浮かんでくるが、何度も書いたように、「少しでも気持ちよいと感じるように自分(の気持ち)を持っていくことが大切」だということを忘れないで頂きたい。

実際の話、試合のことを意識しすぎて調子を落としている選手は、何をやってもうまくいかないと感じてしまうものだ。

だからこそ、少しでも練習に対して、心地よいと感じ、意欲をもてるような練習方法を考えることが大切だと思う。

もし、練習をやっていて、どうしても気持ちよく思えないのであれば、練習を一旦打ち切って、気晴らしに行くのも良いだろう。

何をやっても良い。

何よりも良くないのは、「練習しなければならない」など、「~しなければならない」という考え方に「自分自身を縛ってしまう」ことである。


ちょっとしたものの考え方を変えて、「思考の呪縛」から抜け出せた時、きっとあなたは強くなっています。


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2010年5月17日月曜日

ものの考え方が少し変わった(1993)



私のものの考え方は少し変わりました。

アカデミ-を始めた頃は、やはり目指すはウィンブルドンという感じでしたね。

でも、進学などによってテニスを続けられなくなったり、悲しい思いを持ってテニスを辞めていく子を何人も見てきました。

競技スポーツの世界なので、淘汰されていくのはある程度仕方ありません。

しかし、意に反してテニスを自分の思う場所で続けられなくなることは多いものです。

それを少しでもなくしたい、今はそう思っています。

そう思ってはいても、私にできることは大したことではありません。

子どもたちが私を信頼して、私のもとでテニスを続けてくれるのなら、できるだ混乱しないで済むようにするということです。

だから学校との関わりを強く持つようになりました。

監督という仕事も、幸運だったにせよ、自ら進んでなりました。

テニスのコーチ、指導者が一元化できるからです。

外国人のコーチが、「日本はいっぱいコーチがいる」と驚いていました。

試合が終わると、テニス部の監督にアドバイスをもらいに行き、次は部のコーチ、そして民間クラブのコーチと続きます。

その延々とアドバイスを聞き続ける姿を素直に「おかしい」と感じたのです。

それは私も同感ですが、インターハイ予選が終わって、その感じは少し変わりました。

今年は監督という立場でもあるし、チームとしての活動が少しできてきたところなので、いろいろな立場も理解できるるようになったということです。

でも、「テニスをずっと続けてくれて、テニスを通して豊かな人生を送ってほしい」という気持ちに変わりはありません。

できるだけ沢山実現出来るように頑張っていこうと思います。


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2010年5月16日日曜日

調子の悪いときのものの考え方(1992)



努力をしていても、なかなか成果が上がらないばかりか、調子を落とし、やる気をなくしてしまうこともある。

特にジュニアの最後の年に、その「落とし穴」に落ち込んでしまうことが多いように思う。

「最後の年だから良い成績を残したい」

「悔いのないようにしたい」

「自分のテニスの集大成だ!」

と意気込むのは構わないが、意識しすぎて「不安」や「恐怖」、「焦り」に飲み込まれてしまい、結局自分の力を出すことなく悔しい敗戦を喫し、それがきっかけでテニスをやめていく子どもたちもいる。

もちろん、人間は誰でも調子の良い悪いはある。

そのことを認めたうえで、「調子の悪いときにどうしたら良いのか」、を考えておくことは大変重要だと思う。

「これは!」という方法があるわけではない。

座禅を組んだり、呼吸法を学んだり、メンタルトレーニングに取り組むのも良いだろう。

しかし、日ごろの練習の中でどう対処するのかが最も大切である。

基本的な「ものの考え方」として、「テニスはこれからも続けていく」と決めることだ。

「もうこれで最後だ」と思うとその緊張感は大きくなる。

人間は弱い、「最後に賭ける」という緊張感を打ち破る強さを持った人それほど多くはないのだ。

でも、「負けても次があるじゃないか」という気持ちの余裕があれば、「落とし穴」をかわすことができるはずだ。とても難しい問題であるが…...。

次に「ゲームを嫌がらない」ということだ。

調子が悪くなると、「負けに強くこだわるよう」になり、そのことを意識して、それを避けようとする気持ちが強くなる。

マッチ練習が調整に役立つかどうかはよく分からないが、「戦うことを避けようとする弱き心」はやはり調子を崩す原因になることを覚えておいてほしい。

私のアカデミーでは、小学校1年生から高校生まで練習しているが、小学生の頃は、「よし今日はゲームをするぞ!」というと「やったー!」と雄叫びを上げるほどなのに、中学生になる頃からだんだんとゲームを嫌がるようになり、「ダブルスならやるけど、シングルスはしたくない」などと言うようになる。

本来、テニスではゲームが一番楽しいはずである。

ある程度の緊張感もあり、真剣にボールを打つことができる。

だから、ゲームをすることを素直に喜ぶ子どもの頃は成長が早いとも言えるだろう。

「戦う気持ち」を持ち続けていればきっと調子を崩すことは少ない。

そういう意味でも積極的にマッチ練習に取り組むというのは悪くはない・・・と思う。


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2010年5月15日土曜日

成長の場(1991)



神様に感謝して始めた寮ですが、はじめはやはり大変でした。

私のところのスタッフが常駐して管理をしていましたが、いろいろとあって、私が管理することになりました。

プライバシーもあまりないので、若いスタッフが管理をするには大きなストレスでしたね。

女の子相手だけに、なかなか踏み込んで指導もできないので、大きな負担になっていることは理解できました。

私には家庭がありますが、責任は私が負うべきものと胆をくくっての決断となりました。

私が管理をはじめて徹底したのは時間の管理です。

寝坊したり、決められた時間に寝なかったり、食事をしなかったりした時は厳しい態度で指導します。

何よりも大変なのは、生活を管理することです。

ゴミの管理や身の回りの整理整頓、後片付けなども徹底して指導しました。

それでも守られなかった時は、1週間も練習させないで掃除ばかりさせたこともあります。

洗濯物の管理ができていなかった時には、すべての衣類を床に放り投げて、きちんと片付けるまで見ていたこともあります。

「ここは自分の家ではない!」

「借りているものだから大切に扱え!」

「人に頼らず自分で動け!」

「周りに気を配って生活しろ!」

と何度も言い続けました。

自分たちの部屋だと思っていい加減に生活していると感じた時、「ノックもしないで部屋に入る!」と宣言しました。

「もし困るようなことがあれば事前に断わっておきなさい」とも言いました。

挨拶もできていなかったので、これもくどいぐらいに指導しました。

私がいることがわかっていながら挨拶もしないで出かけたときは、「もう一緒に生活することはできない!」と言い放ったこともあります。

テニスに掛ける情熱は人一倍ありますが、それを生活から作り上げていくことが大切だと考えたからです。

私がトレーニングを指導する愛工大名電高校野球部は全寮制です。

そこの階段の渡りには、「生活が野球だ!野球が生活だ!」という標語が掲げてあります。

私もそれを信条としています。

だからこそ厳しく指導します。

今まで親に甘やかされて育ってきた子どもたちには、窮屈で面倒な時間だったと思います。

でも、年月を重ねるに従って、だんだんとたくましく成長していく姿を見てきました。

ほんの子どもだったのに大人の考え方を持ち、自立した行動ができるようになって成長していく、これが寮のあるべき姿だと思います。

生活することからテニスが強くなるための方法を学び、道を見つけて歩いていく・・・子どもたちの「成長の場」、それが寮であると思います。


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