2010年3月20日土曜日

強さはどこから生まれてくるのか(1935)



本格的に「寮」の生活がスタートし、今年も新たに入寮者がいる。

管理する方は大変であるが、そこで生活する子ども達もそれなりに大変だと思う。

私が寮を作り、そこで生活しながらテニスをすることを薦めるのは、いろいろな理由があるが、何よりも「強くなるために」は「絶対に必要」だと強く思うからだ。

寮の生活は今の子ども達にとっては息苦しいだろう。

親の庇護の元でわがままに育ってきた子どもが、他人との共同生活を行うことは難しいことだと思う。

当然、寮の生活では制限は多い。

時間厳守、整理整頓、ごみの管理などをきちんと指導している。

徹底できているとは言えないところもあるが、子ども達は怒られながらそれなりに生活できているように思う。

新たに寮生になる選手は、それが「日常」になる、「ここ」が苦しいところだ。

トレーニングでも、1日か2日だけがんばれば良いと思うのであればなんとかがんばれるかもしれないが、それが毎日続くとなると気が滅入る。

苦しいと思う気持ちが強くなって、続かなくなる。

それが人間であり、弱いところだ。

しかし、それを乗り越えてなお「テニスが強くなりたい」という強い意志に支えられて行動できるものだけが強くなる。

これがスポーツの「本質」である。

だから寮生活を選んだ。

苦しいからだ。

嫌なことはいっぱいある。

掃除も面倒くさい、自炊も面倒くさい、好きなテレビも見られない、人間関係がうまくいかない、勉強に集中できない、ゆっくり寝られない、そんなことが当たり前の生活である。

それを乗り越えてくる「力」を持っているもの、その選手は間違いなく強くなる。

それを信じて疑わない。

私が愛工大名電高校野球部のコーチとなり、強くなるチームの過程を見てきて、一番感じたことが「それ」だった。

野球部は全寮制である。

しかも、全員が同じ大部屋に寝泊りする。

寮の管理も基本的には子ども達が分担して行う。

ハードな練習をして疲れていても、生活をするためにはそこを避けては通れない。

そんな生活の中で、朝早くから起きて素振りをする、就寝時間ぎりぎりまでトレーニングする、ちゃんと勉強する、そんなことが当たり前になってきている。

野球をすることが「生活」になっている強さを感じる。

強くなるに決まっているのだ。

私の大学時代の友人達にも、汚くて狭い寮(人間が住むことができるぎりぎりだと感じていた)でこき使わされながら、貧しい食事を我慢し、スポーツでも勉強でも立派な成績を修めた奴がいる。

これが「強さ」だ。

「人間の『強さ』はどこから生まれてくるのだろう」、と考えることがある。

それは「苦しさ」の中か生まれると思う。

どうしようもないほど悩み、苦しみ、逃げ出したくなる瞬間に「強さ」の原点がある。

私がアメリカに渡った時も大変苦しかった。

英語はうまくしゃべれない、知った人はいない、寮の生活に馴染めず、生活のリズムはうまく作れない、部屋に閉じこもっていることが多かった。

そして、「元大学教員である」という変なプライドが、一歩踏み出すことを拒んでいたように思う。

そんな中から、「どうしてもここで自分の仕事見つける」という強い意志が芽生えた。

そこから一歩踏み出すことができた。

一歩踏み出す「勇気」と「強さ」を自分の中に感じたとき、「これでこの世界でやっていける」という「自信」もついた。

自分が強くなった瞬間だと思う。

それ以降、あまり怖いもの、嫌なものはなくなった。

それはすべて自分にとって必要なことだと思えるようにもなった。

「強さ」はこうして生まれてくるものだと思う。

子ども達も親も、不安や恐れがあるだろう。

しかし、「強くなる」ためにはとても良い経験になる、それを信じてがんばってほしい。

心から・・・そう思う。


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