2010年1月11日月曜日

迷う(1867)



「開き直れず」、「気分転換」もできず、何もかもうまくいかないときに人間は大いに「迷う」。

「迷う」だけならまだ良いかもしれないが、テニスをやめてしまおうか、何か違うことにチャレンジしたほうが良いのかなどと「悩み」、「葛藤」することもある。

そんなときは、何をどうしてよいのかわからずに、悶々としてなにもかも面白くなく、どうして自分だけが、と被害妄想的に考え込んでしまうこともあるだろう。

こう考えると、「迷う」、「悩む」、「葛藤」はマイナスのイメージが強いのであるが、じつは成長するためのプロセスとして、誰もが通らなければならない道なのである。

桑子敏雄(「わたしがわたしであるための哲学」PHP研究所)は、
「人間にとって葛藤があるということが非常に重要なことで、迷いとか葛藤とかのなかで、選択肢の探索が行なわれるのである。自分の行なうべき振る舞いにはどういう選択肢があるのかと考えるときに、十分に思慮が尽くされている場合もあるが、多くの場合、必ずしもそうではないから、どういうふうにしたらいいかわからない。しかし、迷ったり、悩んだりしていくなかから、いままで気がつかなかった選択肢というのが現れる可能性がある。葛藤や迷いというものがなくなってしまったときには、そういう新しい選択肢が出現してくる可能性も失ってしまうということだ。」
と述べている。

そう、「迷う」こと、「悩む」こと、「葛藤」することは新たな選択や発見を生み出すためにはなくてはならないプロセスなのである。

ここでは「大いに迷え」と言っておきたい。


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