2010年1月27日水曜日

指導者の眼を信じる(1883)



強くなるには、よい指導者にめぐり合うことがとても大切だ。

しかし、なかなか自分に合う優れた指導者に出会うことはむつかしい。

どのような指導者が優れているのかを一言で言うことはできないが、斎藤孝(同)が、その著書の中で、室伏重信先生のコメントを紹介しているので、少々長いが、引用してみたいと思う。

「指導者の<コメント力>は、選手を見る眼力にかかっている。ハンマー投げでアジアの鉄人と言われた室伏重信が息子の室伏広治の指導をしているときの意識は、研ぎ澄まされている。余計な言葉がはさまれる余地のない沈黙が、場を支配する。室伏重信は、ひたすら見つめる。そして、こう言う。「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目なのです。思ったことを未消化のまま言うことはあってはならない。技術は、日によって、時間によって、ハンマーにおいては一本一本変わるのかもしれない。それくらい繊細なものの中で安定を築くのです。しっかり見極めねばならないのです。」(「ナンバー」472号)

彼にとっては、指導とは「静観すること」だ。しかし、「静観とは見るだけではない。見て、チャンスを待つという意味です。仮に選手が間違った動きをしていても、それが後にどういう形で技術に効いてくるのか、これは瞬時にダメだと判断できないからです。何を、いつ言うのか、そのタイミングを待つ」(同)のである。

そのタイミングとは、選手本人に潮が満ちるように課題が見えてきたときだ。それまで自分から話すことはない。「自分からハンマーの話をしたことは一度もない。一方、選手本人が何かを聞いてきた時には、すべてを答えてやらなくてはなりません。(そうしたアドバイスのチャンスが来るまでは)仮に1年かかったとしても待ちます。指導者として問われるべきは、私自身が、いかに適切な準備をし続けているかなのです」(同)と言う。」

このような姿勢で指導に臨んでいる指導者はそう多くはないかもしれないが(私も志してはいるが、自分の未熟さを痛感するばかりである)、少なくともあなたの問いかけに対して、あなたが納得できる答えをいつでも示すことができる指導者でなければ、あなたの力を引き出すことはできない。

また、試合会場で、真剣に選手の試合を見続けている指導者を選択するのもよい方法だと思う。

多くの指導者は、「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目」であることを忘れている。

「見る」、ことは指導者として「適切な準備をし続けている」ことの証しなのだ。

その証しをきちんと示すことができている指導者は、きっと優れた感性であなたを導いてくれるに違いない。


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