2010年2月3日水曜日

メンタル面だけを強調するな(1890)



スポーツの世界は「礼儀」がとても大切だ、と説かれることは多い。

福田和也(「悪の対話術」講談社現代新書)は、
「なぜ、礼儀が大事なのか。挨拶が大事なのか。それは礼儀が、油断していないということの証しであるからです」と言っている。

私には、それが証しなのかどうかはわからないが、クラブにおいて「きちんと挨拶をしなさい!」と、ことさら強調されることに対してはどうも納得できない。

そんなことは親や学校がきちんと教育するべきものであり、あまり面識のない人に対して、いつでもきちんと挨拶することばかり気にしていたら、肝心の練習に身が入らないだろうし、挨拶しまくっている子供がいたら気持ち悪い。

もちろん、挨拶しなくて良いということではない。

面識のある人に、身近であったら挨拶することは当然だと思うし、ただし、それをことさら強調しすぎないほうがよいということだ。

斎藤孝(同)は、その点に関して室伏重信先生のコメントを紹介しながら、次のように述べている。

「技術か人間性か。この二項対立図式もまた、リアリティを見失わせ易いものだ。技術を離れて人間性だけを説けば、発展性がない。一方、技術偏重主義に陥れば、不毛感が残る。室伏重信は、礼儀の重要性はもちろん認識しつつも、「礼儀あってこそ技術が育つ」という主張に対して、次のような批判的見解を述べている。

「その流儀ではストレスが溜まってしょうがない。こうやったら伸びる、という技術の ヒントを教えるのが指導者であり、自分の器以上のものになってもらうことが前提です。 その厳しさと向き合ってこそ、人間が育つ。高い技術を追求する人間に、精神は後からついてきます。逆に精神から入ったら、競技者としての壁は越えられもせんね。」(同)

ただし技術の追求が、精神的な成長を完全に保証するわけではない。技術の追求をめぐって対話的な関係が成立していることが、精神的な成長をより促す。漠然とした人生論的指導を漫然と繰り返すのではなく、具体的な技術に対する認識を一つ一つ共有していく。このプロセスと通じて、人間性に厚みが増してくる。軽く方向性を示す一言でも成長にとっては重要だ。室伏の指導は言葉少なだと先に言ったが、それでも時折「よくなっている」といった言葉はかける。この一言だけでも選手の力になる。」

このことは、きちんと自分の技術を振り返ってみることが大切で、その技術レベルが低いのにメンタル面を強化することばかりに捉われることはあまり意味がないということを示している。

これは大変難しい問題である。

私はコーチの役目として、技術についてきちんと対話をしながら、「礼儀」を尽くすことで選手としての資質をどう高めることができるのか、ということを教えていきたいと思っている。


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