2009年11月6日金曜日

無我(1802)



「無我の境地」というのがあります。

これは書いて字のごとく、「我」が「無い」ということです。

人間は本来身勝手なものです。

自分さえ良ければよい、というのが基本的な性質です。

「不快感をもたらすもの、満足が得られないものは嫌うのが人間の本質である」(マイケル・ラーデン)。

だから、思うようにプレーできない、相手のプレーが気に入らない、練習する相手が嫌い、などの「我」によって心を乱していきます。

不快なものを早く排除したいという焦りから、感情的になり、イライラして身体は硬直し、ほんの些細なミスに感情を爆発させます。

強くなる選手は「これ」をコントロールします。

ある本に、

「私たちは、彼らのプレッシャーの中でプレーする力、つまり「今」に焦点をあて気を散らすことなくプレーできる能力に驚く。力みや不安を除くことを学び、自分の直感を信じ信念を失わないものが勝者である。勝者は負ける可能性を受け入れる、そうしてそうすることで逆に勝つのである。」

と書いてあります。

そして、

「勝利は、戦いの前に自己を意識せず大原点である無我の境地を保てる者の手中にある。」

という禅の教えを紹介しています。

難しことです。

でも、集中を欠き、感情的になり、ミスに心奪われ、むやみに力んで、相手に対して敵意をむき出し、思うようにプレーできないことに腹を立てていたのでは勝者にはなれませんね。

そういう練習をしている選手がいると悲しい気持ちになります。

「無我の境地」は遠いところにある世界ではありません。

今、自分がそうしようとすれば手に入るかもしれない、すぐ身近にある世界です。

人間の本質を超えて、手に入れてほしいと思います。


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