2009年11月21日土曜日

目標はいらない(1817)



今までにメンタルトレーニングの本などに目標設定の重要性を説明してある箇所を読んで、実際に目標設定をしたことのある人は、その目標を書いたものをもう一度持ち出してきてほしい。

チェックしてみよう。

①その目標は変わっていないか?

②目標を達成するための意欲は衰えていないのか?

③その目標を達成するために今何をしているのか?

を自問してほしい。

<タイプ1>もし、何も変わっているところはなく、その目標に向かって自分のできることが明確になっているのなら、あなたは成績によらず自分の持っている力をいかんなく発揮する可能性は高まっているかもしれないが、強い選手になるかどうかはまだわからないといったところだ。

<タイプ2>次に、①は変わっていないが、②と③は変わってしまっている。意欲が衰えてしまい、自分のなすべきことが明確でないならば、残念ながら強くなることはむつかしい。目標は、あなたに達成されるのじっと待っていてはくれない。つかみとるための意欲と努力が少なければはるかかなたに遠ざかってしまう、という当たり前のことを忘れている。

<タイプ3> 最後に、①は変わってしまったが、②と③はまったく変わっていないどころか、その達成意欲は高まり、自分の課題はより明確ですべきことがはっきりと自覚できている、という人はそのままやり続けてほしい。きっと強い選手になる。

このように、3つのタイプに分けて考えてみた。

まあ、なにごとも完璧に類別できるわけではないが、このようにタイプ別に分けて考えていくことで、「目標を正しく設定する」ということの意味がわかりやすくなると思ったのでこのような手法を試みた。

あなたはどのタイプだろうか?

ここで言いたいことは、自分で掲げた目標に向かって突き進むことができるのは、その可能性を感じているときだけだということだ。

夢のような目標でも何でもよいが、その目標は実現できるという確信がある程度無ければ、その目標によって自分自身の気持ちが高まり、それに向かっていくという行動力は生まれてはこない。

そして、大きな目標を掲げているにもかかわらず、すぐ前の小さな壁をなかなか越えられないときには、目標を掲げたことがマイナスになってしまう場合もある。

例えば、「全日本のチャンピオンになる」という目標を掲げている者が、どうしても地域大会でチャンピオンになれないときに、なんだかテニスがどんどん楽しくなくなってくる。

そして、自分の掲げた目標を忘れてしまうか、進んで忘れようとする。

こうなると、目標を達成するためにがんばってきたことが無意味に思えてきて、楽しくなくなってしまったテニスを辞めてしまうかもしれない。

そういう場合もあるということだ。

これが、わたしの言うところの「目標の弊害」である。

では、「強くなるために毎日10キロ走る」という目標を立てた場合はどうであろうか。

この場合は、たとえ全日本のチャンピオンになれなくても、その目標は自分自身にとって意味を持っている。

行動の目標が具体的なだけに意欲も駆り立てられやすいが、「強くなる」ということが何かの大会に優勝するという結果に置かれるのではなく、あくまでも昨日の自分よりも強くなるためにという自己評価に拠っていなくてはならない。

しかし、このような目標を掲げた場合、雨の日でも風の日でも、はたまた自分が風邪を引いて寝込んだときでもやり続けなくてはならない。

単純に繰り返される目標ほど継続することはむつかしい。

だいたい3日で終わる(だから3日坊主という)。

このように自分で目標を掲げたのにも関わらず、途中で中断することが何度か続くと「自分は意欲が足りないだめな奴だ」というレッテルを自分に張ってしまい、やる気をなくすことも多い。

そのかわりに言い訳は上手になるかもしれない。

このように具体的な行動目標は意欲を高める効果があることは認めるが、継続することははなはだむつかしい。

では、「全力を尽くす」、「ベストを尽くす」という目標はどうか。

R.マートン(「メンタルトレーニング」大修館書店)は「この目標のよいところは、選手は決してその目標を超えることはできない、というところだ。なぜなら自分のベストがどれくらいなのかなんてだれもわかっていないのだから。そして、ベストをつくしているかどうか定義のしようがないのだから、これは安全な目標でもあった。しかし、この目標の短所はまさにその不明確さにある」と述べている。

私もこのような目標を設定することをすすめてきた。

合宿などの短期の集中した練習環境では、毎日の自己評価をチェックするなどの方法をとることで練習意欲が向上し、よい成果を生むことは確かにある。

しかし、不明確であるがゆえに、単純な繰り返し目標と同じように継続することはむつかしく、長期間掲げる目標としては適切ではないのかもしれない。

こう考えてくると、「世界チャンピオンになる」とか「この試合に優勝する」というような結果目標よりは、「何キロ走る」とか「腹筋100回やる」というような具体的な行動目標のほうがよい効果を生むかもしれない。

また、毎日の練習で「ベストを尽くす」ことをやり続けることができれば強くなるのだが、継続することはむつかしい。

つまり、どの目標を掲げるにしろ、目標を掲げるだけで意欲的に行動し、積極的に練習を行うようになり、その結果期待するものが手にはいる、というものではないようだ。

私は、コーチとして子どもたちにどのような目標を持ってもらえばよいのか、はたまた目標などいらないものなのかを悩んできた。

そんなときに面白い本(デイル・ドーテン「仕事は楽しいかね?」きこ書房)に出会った。

この本はビジネス関係の啓蒙書なのだが、「人生はそんなに扱いやすいものじゃない。僕は人生の中で何をすべきかなんて、問いかけなくなった-どうせ、人生なんて思いどおりにはならないからね。僕がいままでに掲げた目標が一つだけある。それは“明日は今日と違う自分になる”だよ。」という文がとても印象に残り、自分も“明日は今日と違う自分になる”という目標を揚げるようになった。

この目標は簡単ではない。

本の中では、「僕のたった一つの目標は、簡単なんてものじゃない。<毎日>変わっていくんだよ?それは、ただひたすら、よりよくなろうとすることだ。人は<違うもの>になって初めて<より良く>なれるんだから。それも一日も欠かさず変わらないといけない。いいかい、これはものすごく大変なことだ。そう、僕が言ってるマンネリ打開策は簡単なんかじゃない。とんでもなく疲れる方法だ。だけど、わくわくするし、<活気に満ちた>方法でもあるんだ」「人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的にどこに行き着くか、まったくわからないところなんだ」「毎日毎日違う自分になること。これは“試すこと”を続けなければならないということだ。そして試すこととは、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、試行錯誤を繰り返しながら、それでもどうにかこうにか、手当たり次第に、あれこれやってみるということだ」と書かれている。

このように考えていれば、「自分が強くなるために必要なことは何か」が明確になってくるはずだ。

目標を立てようと思わなくても、「明日は~をしよう!」という目標が自然と思い浮かんでくる。

もちろん、それが「明日20キロ走ろう」でも「明日の試合では全力を尽くしてベスト8に入る」でもかまわない、“明日は今日と違う自分になる”ことを決意していればよい。

この連載の1回目に、「苦心」と題して、次のようなことを書いた。

「テニスの選手を志す以上、チャンピオンになることを夢見るに違いない。でも、現実は大変に厳しい。あなたは、がんばっても、がんばっても届かない栄冠に対して、「なぜ、私だけがこんなに不幸なのだ。」と嘆き悲しむかもしれない。しかし、もしすべてあなたの想像するようにうまくいったとして、果たしてあなたは幸せだろうか。苦しみがなくなれば、喜びもないといわれる。苦労して、苦労して手に入れたときに人間は感動するのである。しかし、もっと強い人間は、苦労そのものに喜びを見出すのである。今、まさに苦労していて、それを乗り越えるためにさまざまな工夫をしている自分、その苦心の中から何かひらめきを得たときに感動できる自分がいたなら、きっとあなたは強くなる」と。

私は、まさにこのことを何度も言いたいのである

ある目標を掲げたとしよう。その目標は世界チャンピオンかもしれない。

しかし、その目標が手に入ったとして、それで苦労がなくなるわけではない。

苦労は、さらに毎日続く。「それ」を自分の目標にしない限り強くはなれないのである。

長田一臣(「勝者の条件」春秋社)は、メンタルトレーニングは「選手生活が終わってもなお人生のどんな局面でも通用するという生き方ということを訓練する」ことだといっている。

“明日は今日と違う自分になる”という目標を持って、毎日変わることができるのなら人生は豊かになると思う。

強さを手に入れるのもすぐそこだ。


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