2009年11月20日金曜日

忍耐力は競争の中で培われる(1816)



何事にも「耐え」「忍ぶ」能力は、過酷な状況の中でさらに磨きがかけられる。

スポーツにおいてもっとも過酷な状況のひとつは、「競争」に負けることだ。

野球の世界では、幼少の頃より大変熾烈な競争が繰り広げられる。

名門高校では、何人かに一人の割合でしか入学を許可されない。

また、たとえ入学できたとしても、3年間一度も公式戦に出場できない選手は何人もいる。ポジション争いも熾烈だ。

ある選手が怪我をしたら、そのポジションを巡って、他のポジションの選手もレギュラーになるために果敢に競争を挑んでくる。

もちろん、いじめや暴力など、スポーツのマイナスの面も多くある。

このような熾烈な競争の世界に常にさらされているのだ。

それに耐えられない奴は生き残ることができない。

そして、そのような激烈な競争を経験してこそ、「この一勝」に賭ける気持ちが極限にまで高まり、自分を追い込むことができる。

だからこそ敗戦によって全身を覆う虚脱感に苛まれ、泣いて我を忘れるしかなくなるのである。

それほどまでに「賭けて」いないと、この世界では通用しない。

一方、テニスというスポーツは個人スポーツであり、誰もが試合に出ようと思えば出ることができる。

試合に「出る」ための競争はない。

団体戦があるにしても、テニスは個人戦のポイント制であり、そのメンバーは単純に技量の高低で決まる場合が多い。

野球のように、足が抜群に速い奴とか、バントがめちゃくちゃうまい奴(巨人の川相みたいな選手)とか、声がやたらにでかいムードメーカー(野球ではこういう選手はいざという試合にはとても重要な役割を果たす)などが選ばれることはない。

交代要員も少ないので、メンバーをもぎ取ろうとする意欲を持ちにくいのだ。

また、最近は民間クラブから育成が始まるので、親やコーチのサポートが手厚く、理不尽な要求に耐えるなどのスポーツ本来の忍耐力を求められる場面が大変少なくなっている。

こう考えると、テニスの世界、特にジュニアを取り巻く世界は、スポーツの中ではもっとも「甘い」と言わざるを得ない。

真に競争を経験していないものは、やはりもろい。

ちょっとしたことで動揺し、自分をコントロールできなくなるような選手が大変多い。

競争を経験していないので、「戦う」ことの本質がわからないのかもしれない。

磯貝芳郎と福島脩美(「自己抑制と自己実現-がまんの心理学-」講談社現代新書)は、「今は、周囲に何でもある。そんな中で前向きな希望のある目標を探し出して、粘り強く自分を成長させる我慢をするのが、本当の我慢である。とすれば、今ほど我慢する心を作るのにこんないい時代はない。」と言っている。

テニスに当てはめてみれば、競争のはげしくない世界だからこそ、自ら進んで競争し(戦いを挑み)、忍耐力を磨くことで誰よりも強くなるチャンスは大きくなるということだ。


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