2009年11月27日金曜日

波に乗る(1823)



大垣日大高校が明治神宮大会を制したが、私がトレーニングを指導する愛工大名電高校野球部も4年前に全国大会制覇を成し遂げた。

そのチームは、ドラフトでプロ球団から指名を受けるような選手のいたチームに比べて、「打てない」チームと評され、前評判もそれほど高くはなかった。

実際、県大会の準決勝では優勝した高校にコールド負けを喫し、3位決定戦を勝ち上がって、やっとの思いで東海大会の出場権を手に入れたのである。

そのチームが東海大会であれよあれよというまに優勝して、その「勢いに乗って」全国制覇まで成し遂げたのである。

まさに「波に乗った」、「勢いに乗った」という表現がぴったりの快挙ではないだろうか。

では、どうして「波に乗る」ことができたのだろうか。

そのチームは「打てない」チームであることは間違いない。

だからバントを多用する作戦をとることで成功したのだが、このことを取り上げて、「作戦がばっちりだったからチームが勝った」、というのではない。

そういう作戦を「勝つためには絶対に必要なのだ」と、選手自身が心底「信じる」ことで「波に乗る」ことに成功したのである。

「流れ」はちょっとしたきっかけでつかむことができる。

「運」に恵まれて「波に乗る」こともあるだろう。

財団法人日本テニス協会発行のオフィシャルメールマガジンの中で、元デ杯監督の福井烈さんは「一流といわれる多くの指導者の方々の言葉を借りれば、『運に恵まれるのは努力の味を知っている選手だけ』と言われています。この全日本に出場している選手の皆が努力の味を知っている中で誰がその「運」を引き寄せる事ができるのか?勝負のあやもゲーム同様に楽しんで下さい。」と言っている。

このように努力するものだけに「運」が味方し、「波に乗る」ことができるのだが、もっと大切なことは、その「流れ」を止めないように、「沈みの方向」に持っていかないようにすることだ。

そのためには、いま自分がやっていることをどれくらいの「深」さまで「信じる」ことができるのか、が大変重要である。

その「深さ」がじゅうぶん深ければ、きっと「流れ」は止まらない、ずっと続いていくのである。

また、その意識が高いレベルにあれば、必ず「流れ」はくるのだが、その「流れ」が来ることを「期待」している(しすぎている)ときは「流れ」は来ないという不思議な性質を持っている。

無我夢中、一意専心、一所懸命、無私無欲、などの言葉は「意識」がどうあるべきなのかをうまく表現している、と思う。


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