2009年8月20日木曜日

どん底を経験する(1724)



試合では、悔しい敗戦を喫した子どもにかける言葉に窮するのが常だ。

安田女子大学の友末先生は、

「どんな励まし方をしたとしても、君の気持ちは切り替わらないでしょう。ああ、困ったなあ……。」

と書いている。

この「ああ、困ったなあ……。」は、まさにそのときの私の心境である(友末先生は10年以上の付き合いのある私の先輩であるが、何よりもこの人に惹かれるのは、このような<人に対する感性>である)。

巷にあふれるポジティブ・シンキング的なメンタル・トレーニングは、敗戦のショックから立ち直り、またもう一度テニスをやってみようかという気持ちに差し掛かったときに、なんとなく、心にすうっと入っていくものであり、容赦のない限界を突きつけられたときに、そのような考え方にたどり着くとは思えない。

選手は誰もが懸命に戦っている。

負けたいと思って戦う者などいない。

しかし、打っても打っても通用しない。

何をして良いのかわからない。

本当に残酷なのだが、努力で埋まらない限界がはっきりと示されるのだ。

こんなときに、何をかける言葉があるのか。

私も友末先生と同じように、一緒に肩を落とし、ため息をつき、気持ちが自然に切り替わるのをじっと待つしかない。

スポーツの残酷さを嘆きながら、一緒に涙することしかできないのだ。

このような<苦しみ>がスポーツの本質である。

しかし、その<苦しみ>の中に、選手としての感性を磨く種がまかれているのも真実である。

このような<苦しみ>を幾度となく経験し、「どん底の中であがいた人間だけが感じる本当の歓び」(友末)を手に入れた者が強くなる。

しかし、<どん底を経験する>ことは大変に難しい。

実はどん底を経験するにはいくつかの条件があるのだ。

なによりもテニスに対して一生懸命に取り組んでいなければならない。

あるテレビ番組で、コーチが指導する生徒に対して、

「一生懸命やればやるほど、その悲しみは大きくなる。それがスポーツだし、スポーツとは本来そういうもので、残酷なものだ。」

と説いていた。

そう、スポーツは一生懸命にやればやるほど、苦しみ、悲しみは大きくなるということをこのコーチは知っている。

一生懸命に努力すると、なんとなく自信が付いてくるのだが、その反面、「こんなにやったのに負けたらどうしよう!」と、負けることに対する恐怖が大きくなる。

その恐怖は振り払うことができない。

なぜなら一生懸命に取り組んでいる<自分自身が恐怖を作っている>からである。


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