2009年8月24日月曜日

本物の友人に出会う(1728)



苦しさの中に本当のスポーツの素晴らしさが潜んでいるのなら、自ら進んで苦しい思いに身を投じてみるのはいかがだろう。

いまどきのクラブ活動は、それほどでもないかもしれないが、それなりに適度な理不尽(?)の存在するクラブも多いはずだ。

私が以前コーチを務めていた慶應義塾大学テニス部は、昔ながらの理不尽、非合理を体験できる貴重なクラブと言ってよい(でも、とても良いクラブだった)。

このようなクラブに身を置くと、自分がなぜテニスをやるのかという意味をしっかりと認識できるチャンスになる(本当かな?)。

私たちの時代のクラブ活動について話をしよう。

岡本浩一(「無責任の構造」PHP新書)は、

「すぐに過去の話を持ち出して、それを栄光の業績であるかのように語るのは、権威的傾向の強い人である」

というが、勝負に弱い日本人が増えてきたのは、<スポーツの苦しみ>について語らなくなったことが原因のひとつであると考えるので、あえて批判を覚悟で述べてみたい。

ひと昔前のクラブ活動は、理不尽極まりないことがまかり通っていた(一部のクラブは今もそうであろう)。

3年神様、2年人間、1年畜生という言葉ができるくらい、1年生は1年間の過酷な試練に耐えなければクラブ活動を続けることさえできないのだ。

私が高校でテニスを始めたときは、コートが1面しかないクラブにもかかわらず入部希望者はざっと40名くらい(実際は一日で辞める部員もいるので、もっと多いはずである)。

それが、8月の合宿を終えるころには6、7人に激減する。

練習中の飲水はもちろん禁止、

一日中ボール拾いに追われ、

何百回と繰り返される素振りに耐え(当時は、ラケットカバーをつけて素振りをするのが主流(?)であった)、

非合理的で理不尽なトレーニング(両手両足を縛られて、学校から先輩の乗るバスのバス停までピョンピョン跳びながら見送りに行かされるなど-ええ加減にせえよ!)に歯を食いしばり、

やっと日没近くなって5分程度の練習が許されるという状況では、

辞めていくのは無理もない。

では、辞めずに生き残った者(?)は、なぜそのような過酷な状況に耐えることができたのであろうか。

東山紘久(「悩みのコントロール術」岩波アクティブ新書)は、

「人間がピンチに出会ったとき、悩むことが飛躍につながる人と、そのままなかなか立ち直れずに、より深刻な問題に落ち込んでいく人との違いは、サポーターがいるかいないかが大きな分かれ目になる。」

と述べている。

私の場合は仲間の存在が大きかった。

ともに励ましあい、競い合う仲間がいなければ辞めていただろう。

本当に良い友人たちに恵まれた。

私は、もちろん戦争を経験していないので大きなことは言えないが、これを<戦友意識>と呼びたい。

過酷な状況では、友情はより強く結ばれる(もちろん、逆に反感や憎悪が大きくなる場合があることは知っている)。

そして、くじけそうになるとき、強く結ばれた友情が何よりも助けになるのだ。

彼らは今でも私の大きな支えである。


人気blogランキング参加中。読み終わったらクリックお願いします!!

0 件のコメント:

コメントを投稿