2009年10月4日日曜日

自己分析(1769)




試合後に感想を聞くと、「なんとなく」、「なんか微妙」、「よくわかんない」などの感想を述べる選手がいる。

これは、実際に私が指導する選手の試合後のコメントである(このような言葉を聴くと、信頼されていないのかと少し落ち込む)。

なぜ、このようなあいまいな言葉でごまかそうとするのか。

報告することが面倒くさいという場合もあるし、コーチとの信頼関係がなくて、話をするのがうっとうしいという場合もあるだろう(これはコーチの責任でもある)。

負けて落ち込んでいるときにいろいろと話すのはつらいことかもしれない。

しかし、私はこのような時に、試合後のコメントをきちんと言えないことを敢えて指摘し、時間をかけて話し合いをする。

この時間は、自分(コーチ)の意見を伝える場ではない。

この場で技術的な問題点を数多く指摘してもあまり効果はない。

自分の弱さを認め、それを克服するために自分の課題を整理し、強くなるためのヒントを探るための時間なのだ。

しっかりと時間をかけることで、次の戦いに向けて自分の気持ちを奮い立たせることができる場合も多く、それを繰り返すことで強い選手に必要なメンタリティーを獲得していくことは少なくない。

だからこそ、きちんと報告をしてほしいと思う。

斎藤孝(「子どもに伝えたい<三つの力>-生きる力を鍛える-」NHKブックス)は、

「何かを経験した後に、何もコメントすることがなかったり、あるいはまともなコメントをすることができなかったりするとすれば、その経験の質自体が疑われる。」

と厳しく述べている。

また、

「コメントする習慣が欧米に比べて日本に乏しいのは、コメントすることがひとつの責任だという意識が希薄だ、というところにあるのではないだろうか。」

とも述べている。

そのとおりだと思う。

もし、真剣に勝負を挑んだ試合であれば、勝ち負けに関わらずなにかしら感じるものがあるはずであり、それを素直にきちんと話すことで、感性のエネルギー(斎藤孝(同))を高めることができる。

そのエネルギーの蓄積が強い選手になるためにもっとも大切であることを覚えておいてほしい。

しかし、ひとりで戦っている選手も多いだろう。

そういう選手は、ノートに自分の気持ちや分析した内容を記録するのもよい方法である。

松岡修造はノート(日記)の効用を強調している。

私も同感である(最近はノートのかわりにメールで報告するように指導している)。

しかし、「書く」という行為には文章力などの適性もあるだろうし、試合後の報告に十分な時間を取ることができるのなら、「話す」ことがとても良いトレーニングになる。

実際に話を聞いていると、その子どもの思考や感性を感じ取ることができる場合は多いが、文章からそれを読み取ることは難しい。

よく話を聞き、それを記憶するのがコーチの役目だと考える。

だから、コーチにこそノートが必要なのだ。

もちろん、私のノートにはそのような内容がしっかりと記録されている(字は大変きたなく、他人が読んでもよくわからないので、情報が外に漏れることはない。どうだ!!)。

いつも持ち歩き、必要なときには子どもに見せながら説明するときもある(もちろん、読めるように清書して・・・)。

体切なことは、何度も確認をすることだ。

そうすることで子どもたちの感性が磨かれると信じることである。


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