2009年10月13日火曜日

理屈っぽい(1778)



私は、よく「理屈っぽい」と言われることがあります。

これは、良いことなのかな?悪いことなのかな?と、ふと考えました。

「理屈」を辞書で調べると、

「世の多くの人が当然とする考え方」

と書いてあります。

ということは、多くの人が当然であると思うような「理由」を「ちゃんと述べることができる人」のことだと解釈することができます。

これは、きっと良いことですね。

私はもともと大学教員で研究の現場にいたので、

「これでいいんだろうか?」

とか、

「これは、こういうことじゃないんかな?」

というように、いつも疑問を投げかける「クセ」が身についています。

だから、自分のすべきことに関しては、ちゃんとした「理由付け」がなくては気が治まらない性質になったようです。

レッスンのカリキュラムも、合宿や遠征の計画も、何か行動を起こそうとする時には何度もシュミレーションをして、湧き出る疑問に対して、できる限り正当な理由を考え、自分自身で納得できれば計画し、行動する「パターン」が出来上がりました。

何か大きな行動を起こそうとする時には、それこそ一日中考えています。何日も考える時だってあります。

傍から見るとぼうっとしてるように見えますが、あれやこれやと思索を巡らせています。

私はこういう時間が好きですね。

行動を起こすのは「勇気」がいるものです。

だから、「納得できる理由」を探さなくてはなりません。

最終的には「えいやっ!」と思い切るのですが、「そこ」に至るまでの「想定の過程」が大変大切です。

そう考えると、「理屈っぽい」は無謀な計画や行動を抑制し、できる限り計画や行動を有意義なものにするために有効に働く資質ではないでしょうか。

私はいつも「理屈」を考えます。

子ども達の未来のため、自分の未来のため、できるだけ自分の力が有効に働くようにするための手段だからです。

でも、「理屈っぽい人」より「理論的な人」と言われる方が良いかな。


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