2009年12月27日日曜日

自己確信できる(1853)



多くの敗戦を経験し、テニスを辞めたくなるような思いを振り払ってがんばってきた人は、自己確信できるようになる。

それは、自信がつくということではない。

自分という「弱き存在」を自覚することだ。

嶋田出雲(「スポーツに強くなる法」不味堂)は、「自覚の力」として次のように述べている。

「人間はすべてに不完全であり、欠陥だらけの者で、そして、不純な世界に生きている。決して強い者ではないことをまず自覚する。「人間は考える葦である」とパスカルが言っているように、人間は「弱いもの」「傷つきやすいもの」で、自分を守るために心身を鍛えなければならない。しかし、人間は自分の身の丈を忘れ、身の程を考えずに行動する傾向がある。また、人間は人を傷つけ、人と争い、人の言葉にだまされやすい「愚かなる者」である。だから人間は楽をしたいと愚かな行動を繰り返す。また、人間は失敗して、失恋して、挫折して原点に戻り、一からやり直して育んでいく。だから、人間は成功経験よりも失敗経験から多くのことを学ぶものである。スケートやスキーの上達過程に見られるように、人は転んで転んで、失敗して失敗して、傷ついて傷ついて、悩んで苦しんで成長していくのである。また、人間は頭からふけ、目から目糞、耳から耳糞、鼻から鼻糞、口から痰、身体からあか、下から大と小の便を排泄する汚い者で、風呂に入り清潔、綺麗にする必要がある。そして、人間はパチンコ玉のように弾かれて弾かれて、また、雑草のように踏まれて踏まれて育つ。そのため、人間は強くなりたい、美しくなりたい、楽しみたい、自由になりたい、人より卓越したい、力量を高めたい、目立ちたい、輝きたい、立派になりたいと願い、その実現のために、努力し、苦しみ、悩み、勉強し、練習し、トレーニングして自己を鍛練、修業するのである。これらは人間が生きている証拠であり、人間は「悩むパワー」が必要である。人間が普通に生きていくということは容易なことではない。要するに、「弱さを知ることが強さ」につながる。つまり、人間は「知る」ことによって自由になれるということである。もし知らなければ何もできないのである。人間はこれらと向かい合って生きていかねばならないと自覚する必要がある。」

ということである。


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