2009年12月28日月曜日

ただプライドを持って取り組む(1854)



確かに、悲しみや苦しみから立ち上がってきた人は、立ち上がるたびに自分の「弱さを自覚」しつつ、「強さ」を身につけてくる。

しかし、打ちのめされた時には自信が揺らぎ、誰かにすがりたくなるような気持ちになることも多い。

そんなときは本当にどうしていいのかわからなくて、苦しくて苦しくて仕方ないのだが、残念ながらだれも助けることなどできない。

そのために「コーチという存在」があるのではないかといわれるかもしれない。

しかし、コーチは選手と同じ方向を向き、その方向に向かって一緒に歩くためにいる。

助けを求める気持ちは、コーチと向き合ってしまうことだ。

これでは、一緒には進めない。

自分の力で向きを変えなくては、進めないのである。

私に何かしらの救いを求める声もたまにはある。

私は、そのような気持ちは十分に理解できるし、できれば私の力で何とかしてあげたいとは思うのであるが、それほどの力があるわけではない。

私は、そんな時、こんな話をすることがあった。

「私は、Vフランクルの「夜と霧」という本にとても影響を受けました。ドイツの収容所では、人間の尊厳や希望が根こそぎ奪われていきます。でも、自分に尊厳を持って生き抜いた人がいます。もし、その人たちが収容所での事実に目をそむけ、否定し続けていたなら、自分のプライドや希望が失われていくことに耐えられなかったと思います。そうではない、そうではない、と言い続け、でも事実は変わらないとき、そしてそれを受け入れらないとき、人間は心底絶望するのではないでしょうか。そうなると人間は生きてはいけないのかもしれません。私は、そのような経験をしてきたわけではないのでえらそうなことはいえませんが、チャンピオンになれないという事実は否応なくそこにはあります(もちろんそうなることもあります)。そんなはずはない、そんなはずはない、と言い続けて、それを否定し続けているうちに希望が薄くなっていることは感じるはずです。それが、テニスが何となく楽しくないという感覚につながっていくのではないでしょうか。しかし、その事実を認めてもなお、プライドを持って練習に取り組むことができる人がいるのも事実です。その人たちは、事実を受け入れ、そしてその先にある人間の本当のプライドに気づき、何をもってしても崩されない自己が確立されているのです。そうなったとき、あなたは本当に輝くのではないのですか?何ものにも捉われず、ただテニスに取り組んでいく、そんな姿の中に人間の本当のプライドが見えてくると信じます。なんか難しいことを書いているようですが、強くなるために、ただプライドを持って取り組むことがとても大切だと思います。」

「どうしようもない事実を受け入れてもなお、ただプライドを持って取り組む」

ということがどういうことなのかを文章で伝えるのは難しいが、そういう気持ちになれたとき、人間は本当の「強さ」を手に入れると思う。


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